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 というわけで、俺は三層にいるその水夫長に道具を借りる為に船内を歩いていた。
「……にしてもこの船、でけぇよなあ」
 なりは軍艦だが、内部は俺の世界にある普通の客船と大した違いは無い。しっかりした金属の壁に、滑らないためなのか、学校の玄関にある砂が出てくる緑のマットみたいな物が敷かれていた。
 壁が綺麗に整えられていないのも相まってか、何だかちょっと貧乏臭い。俺の学校っぽい。
「って、何でこんな所で学校のことを思い出さなきゃいかんのか」
 折角異世界だってのに、異世界情緒も何もあったもんじゃねえ。
 でもまあ、狭くて木製ですぐ壊れそうってよりはいいかもしれない。それに、変に異世界っぽいより、多少自分の生活に似ているほうが落ち着けるかも。
 考え方を変えて、俺は小さく溜息を付いた。
「さて……三層に下る階段はどこなのやら」
 この船に乗って三日経つが、俺は未だに船の中を全部把握していなかった。
 まあ半日以上厨房にいて皿洗ってりゃそうなるだろうが、それは兎も角。
 自分の乗っている船の事を全然知らないと言うのは正直ちょっと不安だった。もしもの時はやっぱりこの船も戦闘体勢になるんだろうし、隠れられる場所や武器がある場所を知っておかなければ何かと不利になるだろう。そういう時って絶対俺は置いてけぼりだろうしな。
 船の内部を把握してなきゃどうにもならない。じゃないと死ぬし。
 そういうことを含めて考えても、やはり掃除係に格下げされて正解だった。
 皿洗いだけじゃ解らない事が多すぎるからなあ……。
 お陰で今だって何処を歩いているのかさっぱり解らないし。
 なんせこの三日間、厨房とクルーガーの部屋の往復しかしなかったから、甲板へ上がる階段とクルーガーの部屋である第一層への行き方しか覚えてないのだ。
 何故それだけしか覚えていないのかというと、クルーガーの好意で俺はクルーガーの部屋……つまり副船長室に置いて貰っているから。なので、俺は他の船員の部屋も知らないし、あいさつ回りなんて行ったことも無い。行きも帰りもクルーガーと一緒で、別の場所へ移動する暇なんて無かった。
 クルーガーが言うには「陛下がいつアキラさんに仕返しするとも限りませんので」との理由らしい。
 うん、ありえる。充分ありえる。さっきも嫌味言いに来たし。
 あいつなら、寝てる俺の鼻の穴に香辛料を染み込ませた布を詰めるくらいはやるだろう。
 だって俺があいつにやってやりたいもの。寝てる鼻にタバスコ。
 あんまり納得したくは無いが、あいつはどうも俺と似てる部分があるしな。
「でもどうせ似るんなら、俺のいい部分に似て欲しかったわあ」
 諦めのいい所とか、面倒臭がりな所とか、深く考えるとだんだん全てがどうでも良くなってくる所とか。
 あれ? これいい所?
 寧ろ悪い所じゃね? 一般的には。
「アキラさーん! まさか脱走ですかー?」
「おい、誰だ人聞きの悪い事を言うのは……ってクルーガーあんたか」
 開口一番に人を脱走犯呼ばわりするとはさすが涙の中間管理職。微妙に空気が読めてない。
 これは中年になった時確実に窓際族ルートだな、と確信しながら踵を返し、俺は駆け寄ってきたクルーガーを見上げた。どうでもいいが、何でクルーガーの前髪は見上げても目が見えない構造になっているんだろう。ヘタな水中眼鏡よりガードが固い。
 不思議な魔法にでもかかってんのか。
 俺の疑問にも気付かず、クルーガーは失敗したと言わんばかりに後頭部を掻いた。
「いやあ、あの皿洗いが終わるなんて考えられなくて……つい」
 確かにあの無限増殖皿地獄は素人目に見ても絶対に終わらないと思うだろう。
 心配性のクルーガーを安心させてやる意味で、俺は大事無いと相手の肩を叩いた。
「ちゃんとその道のエキスパートに代わってもらったから安心しろ、っていうか仕事はもういいのか?」
 俺が合法的に開放されたのが解ったのか、クルーガーは嬉しそうに頬を緩めて何度も頷く。
「はい! いやあ、良かった〜。ここからは風に乗ってれば海流が勝手にゲートまで運んでくれるので、俺の仕事は航海日誌と定期的な進路の確認くらいの物で……だからこれからアキラさんを手伝いに行こうと思っていたんですよ」
「えっ……そうだったの」
 思いがけない答えだ。
「だって、幾らなんでも酷すぎますよ。船員だって容易にこなせる仕事じゃないのに、それをアキラさんにやらせるなんて……。ただでさえ、この船の乗組員は大食いばかりだと言うのに」
「く……クルーガー……」
 本当にこいつはこの世界で唯一俺を助けてくれる存在だ……。
 いやま、それが本心かどうかなんて解らないけども、とりあえず義理堅いってことだけは確かだと思う。船に乗ってからはずっと俺のボディーガードしててくれるしな。
 寝てる俺の鼻には未だに何の激痛もないし。
 クルーガーは本当に俺を守ってくれる気でいるんだ。
 けど、過度の期待は禁物だろう。
 クルーガーだって雇われの身、結局はあの皇帝に命令されちまえば何も出来ないんだ。
 後で落ち込まないためにも、それは覚えておいた方が良い。
 信じすぎたら負けなんだ。
(…………今までだって、そーだったしな)
「どうかしました? アキラさん」
 暗澹たる気持ちを察してか、クルーガーは腰を屈めて覗き込んでくる。
 俺は気取られまいとそれを慌てて回避して、なんでもないと取り繕った。
「とにかく……手伝ってくれるんなら、水夫長の居所に案内してくれないか? 俺掃除係になったんだよ。まともな掃除用具貰ってこねぇと話にならん」
「えっ、そ、掃除って……この船内の、ですよね?」
 嫌に驚く相手にちょっと慄きながらも、俺は肯定の意味の頷きを返す。
「そうだけど」
 言うなり、相手はロコツに嫌そうに顔を歪めやがった。
 おいなんだそれ、なんだその道端に落ちてる酔い潰れたオッサンを見るような目は。
「アキラさん……悪い事は言いません、今すぐにでも陛下に謝って皿洗いに戻してもらうべきです」
「なんでだよ」
「アキラさんは第三層の悪夢を知らないからそんな事を言えるんですよ……!」
 オォォオという呻き声がクルーガーの背後から聞こえてくるのは気のせいだろうか。っていうか、視界が全体的にどす黒い紫色になっているのは俺の気のせいなのだろうか。
 どうでもいいことに俺が気を取られているにも関わらず、クルーガーは更に顔を青くして、神に祈るように天を仰いだ。背景と相まってなんか絶望した人みたいだ。
「いいですか、第三層は別名【関係者以外立入禁止区域】といいましてね……!」
「普通じゃん」
 婆ちゃんの経営する小さな駄菓子屋でさえその区域は存在すると言うのに、こんな軍艦が全室立ち入りフリーな方がおかしいだろう。しかしそう言うことでは無いようで、クルーガーは地団太を踏んで首を激しく動かした。おお、首振り人形に似ている。
「普通じゃないんですぅうう! あのですね、それというのも、第三層には鬼の水夫長が取り仕切る風呂場と汚濁溢れる近寄りたくもない水夫達の部屋が凄惨な様子で連なっているからなんです! いいですか、汚部屋と任侠風呂ですよ!? その恐ろしさたるや、さながらマッコウクジラに荒野で延々追い回されるのと同じようなものです!! 絶対に近寄りたくない場所なんですううううううう」
「え、なにそれ走るの? マッコウクジラ走るの!?」
 いや驚くべき所はそこじゃない。
「アキラさんんんんん真面目に聞いて下さいお願いだからぁあああ」
「あ、ああいやすまんすまん」
 泣きながら自分のマントの裾を噛むクルーガーに俺は空返事で謝った。
 いやだって怖いじゃん、気になるじゃん、あんなのが地上走ってたら死ぬではないの。
 どう考えてもマッコウクジラに凄い細い二本足がくっついてて、豪速で走ってるところしか想像できない。うわ怖い。夢に出そうだ。想像するんじゃなかった。
「聞いてええええ」
「もうしわけありなみん」
 やべ、噛んだ。
「兎に角!! お願いですから陛下に謝ってください、俺は汚部屋に呑まれて死んでいくアキラさんはみたくありません!」
 言いながら、クルーガーは鼻息荒く泣きながら俺の肩を掴んでくる。どうやら俺の誤った謝りは伝わっていない様だ。畜生め、謝って損した。
 っていうかなんだその腐海に飲まれて死ぬみたいな言い方は。ナウシカか。
 思わず怪訝な目を向けるが、相手はだばだば涙を流したまま俺を離そうとしない。
 冗談ではなく本気でそう思っているようだ。
(さて、どうしたもんかねー……)
 汚部屋くらいで怖がるのもどうかとは思うが、しかし何度も言うがここは異世界。汚部屋には嘔蟲(おうむ)とかいう凄い想像したくもない蟲が生まれているのかもしれないし、蟲使いが居て、風笛で嘔蟲を操って俺に攻撃を仕掛けてくるかもしれない。
 それに任侠風呂とまで言われる水夫長の存在も気になるところだ。
 任侠ってこの世界にも存在していたのかと思うが、まあそれは置いといて。
 高倉なんとかとか、そういう人なのだろうか。いや、でも任侠というのならば、義に沿っていれば実は案外優しい人なのかもしれないし。うーん、こちらも想像し難い。
 しかしながら、俺はもうバカ帝との約束をしてしまったワケで、後戻りできないワケで。
「ま、何とかなるって」
 ナイアガラの滝のごとく前髪の隙間から涙を放出させているクルーガーの肩に、俺はぽんと手を置き返してにっこりと笑ってやった。
 続けて、クルーガーを宥める言葉を言ってやる。
「本当に危険だと思ったら、お前の名前を呼んで『助けて』って言うよ。だから……心配しないでくれよ。……な? クルーガー」
「アギラざんんん……」
 依然として涙の決壊は止まらないが、クルーガーは顔を真っ赤にして鼻を啜る。
 そうして、小さく何度も頷いた。
「わがりばじだ……おれ……俺、絶対すぐに駆けつけますから、守りばずがらぁ」
 子供のように何度も何度も頷いて、ヘタクソな笑みで、一生懸命に笑う。
 俺を安心させたいと必死で笑顔になってる奴に言える言葉なんて、一つしかなかった。
「うん、信じてる」
 信じ過ぎてはいけないけど、寄りかかり過ぎてもいけないけど。
 でも、こうして俺の為に泣いてくれるクルーガーは、やっぱり、この世界で一番の俺の味方だ。
 だから、俺を心配してくれるのなら……少しだけ頼ってもいいよな。
(……でもやっぱり、自分でどうにかする方法も考えとかなきゃならんが)
 例え守ると真剣に約束してくれても、やはり間に合わない時はあるだろう。それを怨みはしないけど、でも、実際手遅れになったら俺はクルーガーを怨んでしまうかもしれない。クルーガーには何の罪も無いのに、勝手に負の感情を押し付けてしまうかもしれないのだ。そんなこと絶対に嫌だった。
 だが、人間、嫌だと思っていても実際どうなってしまうかなんて解らない。
 となると結局、確実に自分を守ってくれるものなんて自分自身しか居ないと思うしかなくなってしまうのである。でも、誰も信じないでいるなんて言う修行僧のような生活も、俺には到底できっこない。
 だから、信じてると言いたかった。
 だって、自分を心配してくれる人を無くしたくなんてないからな。
 何だかもう自分でも呆れるくらいの臆病者思考だが、漫画の主人公とかもこういう思いがあったんだろうか。だからヒロイン達の尻に敷かれていたんだろうか。
 俺も、クルーガーには強気に出られなくなりそうだ。
 まあしかしそれも仕方ない。兎に角今は行動だ。こうしている間にもタイムリミットは近付いている。
 気分を取り直すように一つ息をすると、俺は再度クルーガーにニッコリと笑った。
「じゃ、クルーガー、第三層への階段教えてくれよ」
「はいっ! ごじらべず」
「あごめん、今の言葉鼻声が超不快すぎて聞き取れなかった。もう一回言って」
「うう……こぢらでず……」
 
 そんなこんなで俺はクルーガーに連れられて第三層へと下ったのだが……
 この選択が後に大きな後悔を生むことになるなんて、クルーガーは勿論、俺自身でさえ……全く予想していなかった…………。
 って、まあ、そんなもんだよな。
 
 
 
 
 
 




  
   





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後書的なもの
  
  キミどんどん口が悪くなるな(by聖徳太子)
  というわけで間がかなり開いてしまいすみません…(;´Д`)
  肩の力を抜いて楽に書こうとするとこうなります。
  マッコウクジラ。





2011/06/27...       

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