暗雲立ち込める第三層。
とは言うものの、降りてみれば極普通の階層だった。というか、第二層の構造と殆ど変わらない。
なんだこの拍子抜け感は。俺の期待を返せ。
「今の時間なら水夫長は任侠風呂にいるでしょう。こっちです」
「お前もう何も包み隠してねぇな」
「どわっ、く、口が滑りましたすみません」
お願いだからそれを本人の前で言ってくれるなよ……と思いながら、俺はクルーガーに付いて行った。
どうやら端の方へ向かっているらしい。
そういやこの船、水場は船の右端か左端のどちらかに作ってあるようだけど、何か理由があるんだろうか。
「なあ、何で台所も風呂場も端にあるんだ?」
道すがら訊くと、クルーガーは少しだけ振り返り答えてくれた。
「緊急時の時のためですよ。水の配管は戦闘時の損傷を防ぐために船の中心から広がっています。ですが、万一配管が壊れると、溢れ出した水により船体のバランスが崩れてあっと言う間に沈没してしまう危険がありまして……。それで、船の端に排水を行なう部屋を配置したんです。船の角度は舵次第で何とでもなるので、それでどうにか振り落として……という訳です」
「成程。水によって傾いても、端に出口があれば排出できるってことか」
「そうです。まあでも船倉にも排出弁はあるので、使う事は滅多に有りませんが」
簡単に言えばシーソーの原理だ。
片方に水が偏ったら、そこから水が出て軽くなる。現実的にはそう簡単に行かないだろうが、まあこの世界では最も合理的な方法なんだろう。でも想像するとなんか間抜けだ。
「この世界の船って本当にヘンテコなんだなぁ」
「アキラさんの世界の船には排水機能はないんですか?」
「いや、あるっちゃ有るんだろうけど、俺の世界のヤツはもっとこう、理知的というか……」
少なくとも、棒を突きながら落ちてくるキツツキ人形みたいな簡素な原理ではなかった気がするんだが、船の構造なんか知らないからどうとも言い様が無い。
ぶっちゃけ、今なんで船浮いてんのかとかいう原理すらも解んないからね俺。うん。
「ほう、理知的……それは興味深いです! 是非今後のために御指南を……」
「あーっアレッ、あれが風呂場じゃね!?」
またもや説明タイムになるのを阻止し、俺はつきあたりに有る扉を指さした。
指の先にある両扉の上には、なんだかよく解らない文字の描かれた看板っぽいものが掛かっている。温泉旅館にある「○○の湯」みたいな看板だろうか。本格的にどっかの銭湯みたいだ。
まさか本当に【任侠風呂】とか書いてあるんじゃあるまいな。
「あの看板にはなんて書いてあるんだ?」
「男洗い場です」
「は?」
今一瞬クルーガーの背景にバラが見えたのは気のせいだろうか。
いや、まて、今のは俺の耳が一瞬老人のように退化してしまったから、そう聞こえたのかもしれない。バラが見えたのも目の錯覚だろう。そうだ、そうに違いない。
目を擦って、俺はもう一度問い掛けた。
「なんだって?」
「だから、男洗い場です」
聴き間違いではなかった。
ああ、背景に兄貴とバラが。
「何そのムサいネーミング!?」
「えっ、そうですか? 風呂場より解り易くていいと思いますけど……」
「男が盥でイモみてーにゴリゴリ洗われてるようにしか思えねーよ!! 何その中途半端な男らしさ!? 任侠風呂より酷いじゃねーか!」
盥に男がみっしりつまって「ほう」とでも鳴くのか。
そんな嫌な事件、某古本屋探偵も裸足で逃げ出すに違いない。
俺は必死に突っ込んでおかしな点を指摘したが、クルーガーは何がおかしいのか解らないようでしきりに首を傾げるばかりだった。何でおかしいと解らないんだおい。
「そんなに変でしょうか。風呂場も洗い場でしょう? だったら、男だけを洗う所だから男洗い場でもおかしくはないと思うんですけど……」
「いや……えー……うーん……」
そう言われるとおかしくない気がしてくるが、おかしいと思わなければならないような気がする。
俺が元の世界に戻っても常識を保つために、だ。
友達や叔父の前で「ちょっくら男洗い場行って来る!」なんて言ってしまったら、人生が永遠に終了してしまう気がするしな。
「おい誰だ、そこでゴチャゴチャ煩いのは」
「!!」
風呂場から物凄く良い声が聞こえて、俺達は咄嗟に言葉を飲み込んだ。
なんだろう、この声どこかで聞いたことがあるんだけど、どうも思い出せない。
無意識に腕を組んで悩んでいると、またあの良い声が聞こえてきた。
「用があるんならさっさとこっちに来い」
「ひぃいっ! あ、あれは水夫長の声です!!」
「え、そうなんだ」
思ってたより怖く無いじゃん。なんて思ったのだが、やっぱ聞き覚えがあるからだろうか。
確かに低いし、喉から絞り出しているような任侠さながらの声なんだけどなあ。
「い、い、いきましょうアキラさん……だだ大丈夫俺がつつついてましゅ!!」
「おい全然大丈夫に思えないんだけど。寧ろ不安なんだけど」
何度目か解らないが、どうしてクルーガーは大事な時にこうも締まらないのだろう。守ってくれる気持ちは嬉しいんだが、これじゃ本当に寄りかかることも出来ない。ていうか共倒れしそう。
しかし呆れていても仕方が無いので、俺はそれほど物怖じせずに扉を開いた。
おお、中は普通の浴場とまったく変わらない。
床は板張りで壁際にはロッカーも有るし、服を入れるザルまである。しかもなんかマッサージチェアっぽいものとか扇風機まで有るぞ。これ普通にオーバーテクノロジーなんじゃないか?
変な所に気になって入口で立ち止まっていると、奥のほうにある擦りガラスに人の影が映った。
「あぁああアレです!! アレが水夫長ですぅうう!!」
言いながら俺の背中に隠れるクルーガー。突っ込む気ももう失せたよおい。
「ていうか……なんかマッチョなんですけど」
クルーガーが悲鳴を上げたその影は、任侠というか、どっちかって言うとアメリカンな感じの体型だった。そうそう、ハリウッド映画とかによく出てくる人みたいなものすごい筋肉。
「おい、何を騒いでるんだ」
影が戸に手をかける。
……んー……この声やっぱりどっかで聞いた記憶があるんだけどな。でも俺の知り合いにはこんなマッチョいないし、第一声は良く知ってるけど間近で聞いた覚えが無い。
俺はどこでこの声を聞いたんだろう?
っていうか、なんか背後から効果音が聞こえてくるんだけど。
ドドッドッドドッっていう音もなんか聞いた事があるんだけどなー。
「あああ私心不全起こしそうです」
「お前の心臓の音かよ!! エイトビートにも程があるよ!!」
「ええぇえぇエイとビートってナンデスカあああ」
「用があるならきちんと言え!」
俺達のやり取りに業を煮やしたのか、怒鳴るような言葉が聞こえた。
瞬間、風呂場の戸が勢い良く開く。
「ひぃいいいいい!!」
蚤の心臓でビートを刻んでいたクルーガーが、泡を吹いてついに地面に倒れた。
っておい!!こっから俺一人かよ!?
っていうかお前ドンだけ水夫長怖いんだよ!!
俺は慌ててクルーガーを起こそうとしたが、こん畜生どんだけゆすっても起きやがらない。その間にも後ろからはどんどん足音が近づいて来る。おいおいおい俺一人でどうしろってんだよ!
一応頼りにしてたんだぞおい!
と、俺がクルーガーに往復ビンタをかましていると。
「なんだ、航海士と新入りか」
俺の頭上から、声が降ってきた。
……これはもう、振り返るしか無い。
恐る恐る声の主を確認して、俺は面食らった。
「……………シュワちゃんだ」
「は?」
見上げた顔は、今にも銃をぶっ放しそうな殺戮ロボットまんま。最後にはサムズアップして溶鉱炉に消えていくあの人まんまの姿だった。
ただ、服装はツナギのような清掃員っぽい服を着てるから締まらないが。
他人の空似ってこういう時に使うんだろうけど、こりゃ似すぎだろう。
しかも日本語吹き替え版の声のまんまって何の冗談なんだ。ロマンスの神様のいたずらか。
「何の用だ」
こっちの思いも知らずに、ツナギのシュワちゃんは憮然とした顔で喋りかけてくる。
「あ……いえ、あの、俺ちょっと水夫長に聞きたい事があって」
その顔は自前ですか。それとも特殊メイクですか。
あんまり似過ぎてて訊いてみたくて仕方ない。だが、ここは我慢だ。
俺は笑いに膨らみそうになる両頬を必死で潰し、シュワちゃん水夫長に向き直った。
「聞きたいこと?」
あああ片眉を上げて怪訝そうな顔をするところなんかそっくりだああ。
ダメだ、笑う。このままだと絶対笑う。お願いだ、ちょっとでいいから我慢してくれ俺の腹筋。
「あの……俺、今から掃除することになって……っ、なので、埃を被ってない掃除道具がある場所を教えて欲しいんですが……っ」
笑いを堪えるって予想以上に辛い。
だがシュワちゃん水夫長は俺の我慢に気付かず、俺の言葉に目を丸くしていた。
「掃除を……っ!?」
「ええ、あの、掃除する場所は当番が決まって無い所でいいんです。なので……」
と、俺が言葉を続けようとしたと同時。
「遂に現れてくれたかっ……!! 選ばれし者が……!!」
感動に打ち震えたような顔をして、水夫長はがっしりと俺の肩を掴み涙を一筋零した。
え、なにその超展開。
「あ……あの……?」
「この船に乗り20年……あの腐れし閉ざされた部屋達を解放する勇者を待ち侘びて6年……!! 腰抜けどもなど歯牙にかけぬほどの男らしい者が、やっとこの船に乗り込んでくれた……!!」
「あの、ナルニア物語とかに出演してましたっけ?」
どっかの映画で喋ったとしか思えないとんでもない台詞が、どんどんシュワちゃんの口から湧き上がってくる。なんだこれは。議員になってからおかしくなっちゃったのかシュワちゃん。
いやまて、この人はシュワちゃんだけどシュワちゃんじゃないんだ。シュワちゃんに似てるただのそっくりさんな偽シュワちゃんなのだ。比べてはいけない。比べたら負けなのだ。
どうでもいいけど俺何回シュワちゃんって言ったんだろう。
現実逃避している俺に構わず、筋骨隆々の水夫長は男泣きしながら俺を抱きしめた。
あああ大胸筋が厚くて苦しい。その上体が絞られて痛い。
「君の勇気に感謝する!!」
「ぐえっあ゙のっそれっでどういゔ……」
「おお、すまない。説明してなかったな。話そう同志よ」
筋肉地獄から解放された俺は、必死に深呼吸しながら水夫長に頷いた。
死ぬかと思った、過ぎた筋肉は及ばざるが如しだよ全く。
「……で……その選ばれし者ってのは…………」
「簡単に言うと、水夫達の汚部屋を掃除してくれるヤツってことだ」
最初からそういえよ、とは言ってはいけないのだろう。たぶん。
「あの……そこで失神してるクルーガーからも聞いたんですが、そんなに酷いんですか? 水夫が寝てる場所なら、怖がるほど汚れてないと思うんですが……」
率直な意見を申し付けると、水夫長は眉を上げて呆れたような表情を見せる。
「酷いなんてもんじゃないさ。というか、今じゃ誰も寝てないぞ。水夫たちは残っている数少ない部屋にぎゅうぎゅうに詰まって寝ているんだ。そんだけあの部屋達を開けるのが怖いのさ……。王都の掃除屋ですら開けるのを躊躇うほどの放置っぷりだ。今じゃ誰も寄り付きゃしねえ」
強面の水夫長ですら少し身震いをするその光景に、俺はなんだか言い知れない脱力感を感じた。
「…………なんで掃除しなかったんですか?」
汚部屋から逃げてまで綺麗な部屋で寝たいのなら、何故掃除をしないんだ。
尤もな俺の疑問に、水夫長は肩をすくめて首を振る。
「俺達が……いや、俺の失態が招いた事態だ。俺はいつも船内を見回って指導しているんだが、そうすると、どうしても船員の部屋までは手が回らなくてな……。各自に当番を決めるように言って放っといちまったんだ。するとあいつらは俺が見てないのを良い事にことごとくサボりやがって……」
水夫長の背後にメラメラと炎が見えて、どんどん顔が怒りに歪んでいく。
その顔は正に閻魔大王としか言い様のない恐ろしい顔で、俺はシュワちゃんを知っていたからまだ耐えられるが、そうじゃなかったら恐怖で震えてしまうくらいの姿だった。
なんか、水夫長が任侠だの恐ろしいだの言われてる理由がわかった気がする。
とは言っても、気絶するのはクルーガーくらいだろうけど……。
後ろでまだ泡を吹いているだろう中間管理職を思って、俺は情けないと顔をゆがめた。
「んでほったらかしにしてたらもっともっと汚くなって、船員達は避難したんですね」
俺がまとめると、水夫長は大きく頭を振って額に手を当てた。
「短く言うとそう言うことだが……俺ぁ教育を間違ったぜ」
「いやぁ……でも、自分の事は自分でやれっていいますし……船員達が悪いんじゃないかと」
どう考えても、逃げる前に掃除するだろ普通。
俺が優しい言葉で水夫長を慰めると、相手は再び俺の肩をつかんだ。
「他の場所は担当に絶対やらせよう。だから、君は心置きなくあの閉ざされし場所に挑むんだ」
「それある意味強制ですよね。俺に絶対そこ掃除させたがってますよね」
「ユーディディッ!!」
「本場の発音で誤魔化さんでくださいよ」
いや、本場じゃないと思うんだけど、あんまり良い発音だったもんでつい。
「俺の秘蔵の掃除道具を授けよう。どいつもこいつも伝説級のシロモノだ。……期待しているぞ!」
アメリカンスマイル張りの爽やかな笑顔を見せて、水夫長は俺に輝いた目を向ける。
俺が拒否するなんて思っても居ないような澄んだ瞳だ。物凄い澄んだ瞳だ。
ちくしょうコレだから外人って嫌なんだよ。
「やってくれるな、新人よ」
期待をこめた声に止めを刺されて、俺は二度目の敗北に肩を落とした。
「…………ええ、はい……」
この強引さもあの映画仕込みなのだろうか。
掃除した暁には絶対「アイルビーバック」と言ってもらおうと思いつつ、俺はまだ泡を吹いているクルーガーを見つめたのだった。
後書的なもの
ごめんなさいごめんなさい
でも一度はやりたかったんです。有名人とクリソツネタ。
……だって……こういう話じゃないと……やれないじゃない……!!
あと今回が一番適当だったかもしれません。
クルーガー泡吹かせちゃってごめんね。まるでカニだね。
スベスベマンジュウガニだね。
2011/10/31...