ああリンゴンリンゴン煩い!
 引っ張られたまんま宙に浮いちゃってなんか気持ち悪くなってきたし、周囲からどんどん人が湧いて来てちょっとした群れみたいになってるし、もう港はすぐそこだし、何かもう色々と無理だ。
 口からも耳からも考え事とか今朝食べたものとかが流出しそうでたまらない。
 それでも必死に考えようとしてみたが、もう船は専用のドックみたいな高い壁に囲まれた所に入ってしまっている。今まさに接岸せんとしている船は、真下から見ても超巨大だった。
 高い壁に丁度船の手摺が付くようになっていて、どうやらあの壁の天辺は歩廊があるらしい事が解る。どこから降りるのかと見渡せば、港側の壁の端に、やぐらのようなものが立てられていて中には螺旋階段が仕込まれていた。
 って観察してるヒマはないんだってば!!
 落ち着くヒマくらいは確保しなくては!
 しかし近付けば近づくほどその壁の大きさが見て取れて、俺は余計に気分が悪くなった。十階建てくらいは有るビルを見上げているようだ。となると、相当この船も大きいわけで。
 そんな船の船長相手に、俺は交渉しようとしているのか。
 たかが一介の高校生の俺が。
(うわあああ絶対に最初に気迫負けするううう!)
 逃げ出したかったが、クルーガーに抱えられていてはどうにもできない。
 俺がそうやって慌てているうちに、とうとうクルーガーと住民達はその壁の前に到着してしまった。
「さあアキラさん、着きましたよ!」
 今更降ろされても遅いんだってば。
 しかしこうなってしまっては、ぶっつけ本番で覚悟を決めるしか無い。
 どこから集まってきたのか野球場のようにぎっしりつまってざわめいている大勢の住民を見ながら、俺は一度深呼吸をして心を整えた。とにかく、落ち着かなければ。
「アキラさん、これは船停壁というものでして、こんな大きな船のホームには必ずあるものです。巨大船はあまり町に停泊しない種の船なので、こうしてホームを持って色んな場所へ出かけているんですよ。勿論、燃料補給や休息の為に停泊する事はありますけどね」
(ふーん……見た目だけじゃなくて、行動も軍艦みたいなもんなのか)
 流石船体を金属で覆っているだけはある。
「っていうかさ、この壁って何の役割があるの?」
「所謂船の修理解体所を兼ねています。船側の壁には、幾つもの出っ張りが出ていたり機具が取り付けられていたりして、あの壁の中を通って職人が色々な部位の修理を行ったりするんですよ。高い壁なのは、乗船者が楽に降りたり、風の強い日でも風に邪魔されないようするためなのです」
「へぇ〜……」
 昔の造船技術などは知らないが、そういえば造船工場にはドックというものがあり、そこで船を造ったり修理したりしていると言うのを聞いたことがある。
 俺の世界のドックは水を抜く機能があるから高い壁は作らず、変わりにでかいクレーンだとかがあった気がするが、そういう技術が無い場所ではこんな進化もするのか。
 まさに所変われば品変わるという感じだ。
「あっ! アキラさんアキラさん! 陛下ですっ、陛下が降りて来られましたよ!!」
「えっ、どこどこ!?」
 あそこです、と指をびしっとさすクルーガーに不敬罪という恐ろしい罪が思い浮かんだが、気にしないことにして俺はその指の先に目を凝らした。唸れ、俺の超良好視力。
 ぼやけた数人の人物にピントを合わせて目にぐっと力を入れると、少しだが詳細が解ってきた。
 指をさされた人物は、他に降りてきた人間達の中でもかなり目立つ服装をしていた。
 マントに変な鉢巻に縛った長い金髪に偉そうな軍服っぽい服。確かに船長っぽい。
 けれどぼやけて見える顔は、それほど老けているように見えなかった。かなり遠めだし、こっちは太陽に逆らって上を向いているからそれが確かだとは言えないが、でもヒゲなんかは絶対に生えてない。体格もなんか若々しいって感じだ。
「あの若そうで偉そうなのが陛下?」
「そうです、あのえらそ……あの豪奢な服を着ておられるかたが陛下です」
 また本音が出そうになったな、クルーガー。その黒い思考、解るぜ、中間管理職。
 少しの間クルーガーの発言に同情していたが、その隙に陛下とやらとその他大勢は、こちらを向き何事か叫んだ後思いっきり手を振り出した。何をしてるんだ、と思っていたが、周囲の住民達は俺のような事は思っていないらしく、狂喜乱舞と言った様子で思い切り手を振り返し始めた。
 痛い、痛いって隣のおっさん。手がリズム良く当たって痛いって。
「きゃああああ皇帝陛下ーっ!! 素敵いぃいい」
「うおおおおおお万歳ーッ!! 皇帝陛下万歳――ッ!!」
「きゃっ、陛下がこっちを見て下さったわ!」
「何言ってんのよあんた、陛下はアタシを見てくださったのよ!」
「煩いわね黙っててよオカマ!!」
 何かもう良く解らないが、住人の叫び声が煩くて空耳のような会話まで聞こえてくる。流石にオカマとかその下りは空耳だろう。そう信じたい。俺は低くて渋い声が女性言葉を話しているのは聞かなかったんだ。きっと空耳なんだそうに違いない。
「アキラさん、ちょっと前へ行きましょう」
「えっ!? あ、前に行くのか?」
 黄色い悲鳴が煩くて聞こえづらくて、クルーガーの至近距離で声を聞く。
 クルーガーは唐突に近寄ってきた俺に少し戸惑ったようだったが、すぐに慌てて頷くと俺の手を取って再び歩き出した。しかし周囲はかなり密集した状態で、歩くのにも一苦労だ。
 俺達がやっとのことで最前列に立った頃には、陛下とその仲間達は螺旋階段を下りきっていた。
 うわ、よく考えたらもう交渉開始ってことじゃん。
 緊張してきた。
「陛下ーっ! 俺です、ハインツェルですー!! そちらへ行っても宜しいですかぁー?!」
 飛行機のエンジン音並みに煩い国民達の声に負けないように叫ぶクルーガーに、あの陛下っぽい人物が気付いた。しかし何を言っているかは当然聞こえていないようで、人差し指を耳の周辺でくるくると回している。
 クルーガーも何度か同じ事を叫んだが、やっぱり聞こえなかったのか、陛下は大振りなジェスチャーで「こちらへ来い」と示した。まあ、そりゃ聞こえないだろうなあ。この音の中じゃ。
「アキラさん、お許しが出たので行きましょう」
「お、おう」
 ついに来てほしくなかったこの瞬間が来てしまった。
 雑踏を潜り抜け、停止線を越え、俺達と陛下とやらの距離がどんどん縮まっていく。
 やがて相手の詳細がはっきり見えるくらいの距離に来た時、俺は相手の年齢を知った。
(若い……)
 若いと言っても、三十代とかの範囲では無い。
 俺の見立てが確かならば、皇帝陛下はまだ二十歳も前半くらいだ。やっぱりヒゲも生えてないし、体が凄くデカいわけでもない。偉そうな感じはするが、威厳なんてものがあるように思えなかった。
 俺の家の近所にいる、自称超人気ストリートミュージシャンの金髪の兄ちゃんと同じくらいの存在感だ。ようするに、覇気とか威圧感なんて全く感じないレベル。ギリギリ学校の先生レベルだ。
 良くてチンピラくらいの威圧感か。
 一気に拍子抜けして、俺は危うく安堵の溜息をつきそうになった。
 俺、もっと第六天魔王みたいな凄い人間想像してたんだけどなあ。
 なんかコイツ、俺の友達と同じレベルの存在感じゃね。
(でも、なんか一気にホッとしたわ……)
 皇帝どころか一国の長に会うのも初めてだった俺にとっては、今の今までこの瞬間が恐ろしくてたまらなかった。
 足が震えて動けなかったら何を言われるか解ったものじゃないし、失礼な事を言えば最後、本当に簀巻きにされて海に浮かんでいたかもしれない。迂闊な事もいえなくて、自分の発した一言一句さえ不安になって弱気にしまうのではないか。
 そんなことを今まで考えて怖がっていたのだ。
 けど、実際出会って、それは全て妄想かも知れないと思えてきた。
 それどころか、相手の雰囲気を見ただけで俺は既に勝てそうな気さえしていた。
 一言で殺される可能性はまだあったが、だんだんはっきりと見えてくる顔を見るとそこまで非情な人間には見えない。余程の事を言わない限り大丈夫だろう。多分。
「陛下ー。お久しゅう御座いますー」
「おう、クルーガーか。俺のいない間何も起こらなかったか?」
 俺より一足先に陛下とやらに近寄ったクルーガーは、その声にはいと傅く。
 皇帝はそれに笑ったようで、満足げに鷹揚と頷いていた。
「あ、ですが陛下、ちょっと実験中に手違いがおきまして……」
「実験って……ああ、あの別世界の門を開く奴か! で、どうだ、成功したか?」
 いかにも楽しみだといわんばかりに体を揺らす皇帝。なんかちょっと馬鹿っぽくも見えて来た。
 声はなんか好青年って感じで格好いいんだけどな。
 まだどうすればいいのかわからないので、俺は少し離れた場所でクルーガーの行動を待っていたのだが、クルーガーはこちらを向くと皇帝に耳打ちをし始めた。まあ門のことは秘密事項っぽいから仕方ないかもしれないけど、目の前で堂々と耳打ちされるとなんかイラつくな。
 話が終わるまで暫く待っていると、静かにクルーガーの話を聞いていた皇帝はなにやら驚いたような顔をしてクルーガーから離れた。怒ってはいないようだが、何だか「何をやってるんだお前は」という表情をしているように見える。
 クルーガーが怒られなければいいんだけど、と暢気に構えていたら、急に皇帝がこちらを向いた。
「おい! そこの黒いの、ちょっと来い」
 ぞんざいな呼び方しやがって。威厳の欠片もないな。
 相手の態度に呆れながらも、俺は至って冷静な顔で皇帝に近づいた。
 だが、間近に見た相手の顔を見て一瞬足が止まる。
(うわ……美形だ)
 王子様、というのはまさにこいつのような人間だと言えそうなくらい、皇帝はかなり整った顔をしていた。映画俳優とかに居そうだ。目は海みたいな色で凄く澄んでるし、顔もちょっと優男っぽいけど、日本人と比べれば段違い。体もしっかりとしていて、タッパがあって羨ましい。別に自分の顔と体に自信を持っている訳では無い俺でも、負けたと膝を付いてしまうような容姿だった。
 ちょっと認識を誤ったかもしれない。
 こんな容姿だと、逆に変に緊張しそうだ。美形が怒った顔ほど背筋が凍る顔は無い。
 にわかに戦々恐々とし始めた俺に、皇帝は訝しげに片眉を顰めた後指をこちらに向けた。
「お前が異世界人か。名はなんという?」
「え、あの……堺木 晟、です」
 緊張のせいでぶっきらぼうになってしまった言葉にまた相手の眉間の皺が増える。
 しかし、その顔は怒りや呆れと言うより「なんだこいつは」という計りきれていない表情に見えた。
 嘗め回すように何度も視線でつま先から頭の先まで見た後、皇帝はまた俺に問いかける。
「して、お前はどこの世界の人間だ。お前の世界は、なんと言う?」
「え、えっと…………」
「界賊はもういるのか? 国土は? 国の数は? お前の国はどのような資産がある?」
 んなこと言われたってわかんねーよ。一介の高校生に聞くんじゃねえ。
 大体界賊ってなんだ。
「陛下! アキラさんはあくまでこちらの落ち度でここに来てしまったのですよ、そう矢継ぎ早に聞くのは少し気の毒……」
「煩い、諸悪の根源のお前が何を言う」
「う……」
 諸悪の根源は自分だろうに、皇帝はことも有ろうか止めに入ったクルーガーに罪を擦り付けてふんぞり返った。俺なら思わず反論している所だが、クルーガーは中間管理職で悲しきかなこいつの配下。口答えできるはずもなく、がっくりと項垂れてしまった。
「さあ、答えてもらおうか?」
 人を見下すにも程がある。
 段々腹が煮えてきたが、ここで爆発してはいかんと必死で怒りを押し殺す。
 人に言えた義理じゃないし同族嫌悪かもしれないが、俺はこういう馬鹿みたいに偉そうにしている奴が大嫌いだ。功績があろうが偉かろうが関係ない。馬鹿は馬鹿だ。
 こんな馬鹿に教えてやる事なんて、何一つない。
 思わず罵りが口をついて出そうになったが、刹那クルーガーが絶妙なタイミングで俺と皇帝の間にスライディングで入り込んできた。
「おあーっっと!! と、とりあえず、城に戻りましょう陛下!! こ、ココで話すような簡素な話題でもないですしいいい」
 ナイス抑制。
 皇帝は不服そうな顔をしたが、それもそうかと思ったのか、俺に背を向けて面倒臭そうな声を出す。
「会議室で待っているからさっさと来い」
「は、はい!」
 また丁寧に傅くクルーガーの背中を見て、俺は再び皇帝の偉そうな後ろ姿を見た。
 可哀相なクルーガー。親分がアレじゃ、泣きまくるのも無理はない。
 格好良くたって、偉くたって、あんなに威張ってちゃ何もかも台無しだ。
 第一俺は被害者なんだぞ。計画を発起した張本人にあれこれ言われて眉を顰められる覚えは無い。寧ろ謝られるべきなのに、あいつは全ッ然謝る気配も見せなかった。
 この場合、どう考えても怒っていいのは俺の方だろう。
「クソ皇帝」
 ぼそりと悪態が口をついたが、耳に痛い歓声に掻き消されて皇帝には届かなかった。
 聞こえていたらきっと俺は大罪にでもなっただろうが、こんな人間に助けて貰うならいっそ海に放り出されたほうがマシだ。悪口くらいで激昂するなら、それまでの器だろう。
 絶対にあのクソ皇帝は、人の上に立てる器じゃない。
 心の中で思い切り相手を罵りながら、俺は冷ややかに乗組員達を見送ったのだった。












  
   





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後書的なもの
  
  皇帝登場。
  ツンデレとの出会いって第一印象が最悪なイメージがあるんですが
  実際はどうなんでしょうね?
  それはともかく、アキラはちょっと強気すぎですね。
  
  

2010/09/09...       

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