この世界からは早々においとました方がいい。
 昨日の事を思い出して、俺は少しばかりグロッキーになっていた。
 別に耳から零れるほど覚えた言語や自分の異質さに疲れ果てたわけでは無い。
 まあ早く帰りたくはあったが、一番の原因は……。
「料理がヤバイ……」
「え? なんか言いました?」
「いや、なんでもない」
 誤魔化しては見たものの、口の中に残った嫌な味は誤魔化しきれなくて、俺はクルーガーから顔を背けて思い切り顔を歪めた。失礼だろうが、こうでもしないと気分が紛れない。
 何せ、歯を磨いてもこの朝食の味は記憶から消えてくれないのだから。
 異世界だから味覚が違うのか、それともここの屋敷の調理師が料理下手なのか、ご馳走してもらった夜食と朝食は俺の味覚ではとても許容しきれないほど独創的な味だった。
 辛いとか苦いとか、そういうレベルでは無い。
 一口噛んだ時は「いけるかも?」と思うんだが、次に襲ってくるのは味覚の洪水。子供なら泣くレベルのじわじわくる辛さだとか舌をコーティングする凄まじい苦さだとか、仄かに感じるえぐみしぶみだとかが一気に攻撃を仕掛けてくるのだ。これを美味しいと思える奴はどうかしている。
 日本でこんなレストラン開いたら、ゲテモノ好きしか集まらないに違いない。
 クルーガーは普通に食べていたが、俺にはどうにも無理だった。
 普段通りの表情で食べきる事が出来たのは奇跡だ。
 しかし、異世界というだけで、これほど味の好みが違なるのか。
(……もしかして、アレがこの世界の高級料理とか言わないよな……)
 こんな豪邸なら、高級料理が出るのが普通だろう。
 ……とすれば、ここでは本気であれが美味しいとされるものなのか。
 そう思ったら顔が青くなるどころじゃ済まないくらいの怖気に襲われた。
 ああ、やっぱり無理だ。一刻も早く元の世界に戻してもらわねば。
 こんな甘い物も期待できない世界じゃ生きていたって仕方が無い。俺は甘い物が無いと死んでしまうんだ。絶対この世界にはチョコレートなんて存在しないだろう。
 あんな致死量三百グラムの料理ばかりの世界でなんて、生きて行ける自信が無い。
「アキラさん……顔色が悪いですよ。もしかして、よく眠れませんでしたか?」
 隣を歩くクルーガーはけろりとした顔で聞いてくるが、正直に料理のせいですとは言えず、俺は何でもないと無理に口を笑ませながら首を振った。
 食べさせて貰っといて貶すのはちょっとな。
「それより、今度はどこに向かってんの。俺をお偉いさんに会わせてくれるんじゃないのか?」
 今歩いているのは昨日通った廊下だが、歩く方向が違う。
 昨日は二階へと向かっていたのに、今日は庭園の方へと案内されていた。
 俺の疑問に、クルーガーは困ったように顔をそらすと気まずそうに頬を掻く。
「あー……えーっと、実はですね……すっかり忘れてたんですが、陛下は今日ご帰還なさる予定で……昼間に港へ入港なさるので、迎えに行く予定だったんです」
「ってことは、昨日そのヘーカとやらの部屋に行ってもヘーカには会えなかったわけか」
「はい……すみません」
 何だかよくわからんが、抜けてる奴だなホント。
 とは思っても、何故だか攻める気にはなれなかった。相手があんまり情けなさそうに肩を落としているからか、それとも一宿一飯の恩があるからか。まあ、後者にしておこう。
 いつまでも項垂れていて貰っても話は進まないので、慰めるようにクルーガーの肩を叩くと、解り易いやさしい表情を顔に浮かべて微笑んだ。
「気にすんなよ。ちょっと帰る日程がずれただけだ」
「アキラさん……あっ、ありがとうございます……っ!」
 自分でもうさんくさいと思うくらいの表情だったのに、クルーガーは子供のようにぱぁっと顔を明るくすると、俺の両手を掴んでブンブンと振りまくった。
 おいおい、お前本当に大人なのかクルーガー。
「アキラさんがいい人で本当に良かったです! ああっ、本当に良かったあ!」
「お前普段どんだけ酷い生活してんだよ」
 こんなことでここまで嬉しがるとは、もしかしてクルーガーの毎日は本当に涙の中間管理職みたいな事になっているんだろうか。この喜びようだと否定できなくて怖い。
 若いのに随分苦労してるんだな、クルーガー。
「ううっ、聞くも涙語るも涙の毎日ですが……いや、関係ないですよね、すみませんちょっと取り乱しました……ずずっ。……えーと、兎に角、アキラさんには港まで付いて来て頂きたいんです。帰還式は毎回島民全員で迎えることになっているので、俺も出迎えないといけないんですよ」
 その“陛下”とやらは余程自分が大好きらしいな。
 いくら帰還するとはいえ、島民全員出て来いとは横暴すぎやしないだろうか。
「……っていうか島民? ここ島なのか?」
「ええ。ここはゴナーヴェ諸島皇国の中心の島ですから。あ、言ってませんでしたね。今からご帰還なさる方は、このゴナーヴェを統治する皇帝であらせられるバルドゥイーン・エーデルキルシュ第四十九代皇帝陛下で……」
「えっ…………皇、帝……?」
 いきなり、後頭部から鈍器で殴られたような衝撃が走る。
 俺は今まで、陛下というのはただのふざけた呼称で、今から会う予定の相手はせいぜいこの宮殿を仕切る領主のようなものだろうと思っていた。クルーガーもそのお付きの魔術師みたいなものだと思っていたのだ。
 なのに、俺がこれから交渉する相手は、その想像の何十倍も巨大な存在だった。
 足跡を見て小鳥かと思ったら爪先立ちのフラミンゴだったみたいな感じか。
 それくらい、俺の中のイメージと実際の人物の肩書きは異なっていた。
 一国を取り仕切る皇帝となったら、相当頭も切れるだろう。様々なことに敏感だろうし、交渉にも慣れているに違いない。名前からしても、一筋縄では行かなさそうな相手だ。
 国を繰る人間なら、かなりの数の修羅場を潜っているはず。損得の天秤もかなり敏感なはずだ。
 そんな相手が、俺を簡単に帰してくれるのだろうか。
(国費や時間の無駄遣いとかいって、海に放り出されたりしてな……)
 ありえない話じゃない。
 どこの王様も、王座に座って一言命令してしまえば全てが済む事を知っている。
 面倒だと思われてしまえば、俺は簀巻きにされて海に葬られてしまうだろう。
 うわ、どうしよう、なんだか一気に不安が増してきた。
 庭園に出て眩しい日差しを浴びても、悪寒が消えない。そんな俺の心境など知らず、クルーガーは相変わらずぽややんとした感じでどことなく楽しそうに言葉を続けた。
「陛下はこの国の誇りで、国民全てが憧れる存在なんです! 国民や使用人たちは本当に陛下を愛し、敬っているんですよ。六界一国民と帝王が相思相愛と言っても過言では有りません」
「なんか他人事みたいな発言だな」
 国民や使用人たちって言うと、まるでクルーガーは別にそう思っていないように聞こえる。
 俺の勘繰りすぎかと思ったが、クルーガーは今の言葉に急所を指されたようで、胸を押さえて呻いた。おい、やっぱり敬ってねえのかお前。
「いっ、いや、敬ってます! 敬ってますよ!?」
 変に繰り返すのが怪しい。
 まったく……隠し事も出来ないんだなあ、こいつは。
 半ば呆れたが、慌てようがちょっと面白かったので、俺はついついクルーガーの高い肩に無理矢理腕を回して、からかうようにこそりと囁いてしまった。
「まあまあ、落ち着けよ。俺にもあるよ、そういうの。上司がキツイと言いたい事もいえないんだよな……解るぜ、クルーガー」
「うっ……わ、解ってくれますかあ」
 囁くなり、クルーガーは否定もせずに、ぐすりとまた鼻を慣らして頷いてきた。
 げ、しまった、この展開だと愚痴を聞かされる。
「陛下ったら、キツイのヤバイのや留守や仕事まで俺に押し付けて海に出て行ったりするんですよぉ〜! その間っ、その間俺がどんなに頑張って、苦しんで、ボロボロになっているかっ……! 陛下は笑顔一つで許せと仰るが……いや、それで頷く俺もいけないんですがっ、でもっ、でもそれで全部チャラなんて臣下として辛すぎますうぅ〜! 俺の頑張りって一体なんだったんですかあ!? 陛下は人でなしですううううぇええんアキラさあああん」
「あ゙ーよしよし、ぼうやよいこだかねだしなー」
 成人してそうな大人が、泣きじゃくりながら俺の胸に突っ込んでくる。
 なんかもう、愚痴の内容がまんま中間管理職ぽくて拒めない。正直俺はどちらかというとクルーガーみたいなのを泣かせる方の人間なのだが、こうも悲惨に訴えてこられると剥がすに剥がせない。男に抱き付かれても嬉しい事なんて一個もないんだが、拒否するのも良心が咎める。
 結局、適当な台詞を吐きながら、クルーガーの背中を軽く叩いてやるしかなかった。
 うわあもう面白いからってからかおうとするんじゃなかったぜ。
(でも……こんだけ家臣を泣かせる皇帝って……。外面がいいのか、それともそんくらいカリスマがあって何をしても誰もが許してくれるような人間なのか……。何にしろ、嫌な感じしかしねえなあ)
 人に自分の仕事を押し付けておいて笑顔一つで済ますような人間は、あんまり、いや、だいぶん人として信用できないと思う。せめて飴玉一つくらいやれよ。ハッカじゃない奴。
 ……そういう問題じゃないな、うん。
 早い話が、見返りを用意してやらない人間は信用できないと言うことだ。
 身内はそんな皇帝に心酔しているのだろうからどうでもいいが、もし皇帝が身内で無い人間にもクルーガーにしたような事をしていたのなら、更に雲行きが怪しくなってくる。
 そんなぞんざいな皇帝が、俺が帰るためにあれこれ手配してくれるとは思い難い。
 やっぱり、上手く相手を乗せて帰れるようにしてもらうしか無いのか。
(……難しいだろうなあ……)
 遠い目をしてこれからの激闘を予感していると、感情が鎮火したのかクルーガーが俺の胸から顔を離して鼻を啜った。うわっ、胸辺りが濡れて気持ち悪い。鼻水つけてねーだろうなこいつ。
「ずっ、ずずっ。す、すみませんアキラさん……日頃の鬱憤がつい……」
 目は髪で隠れて見えないが、顔を真っ赤にして子供のように鼻を啜っている姿を見ると、やっぱり哀れで怒れなくなる。そういえば俺の叔父さんも相当情けない大人だが、これほどの人間は見たことが無い。子供に泣きつくなんて、どういう辛い生活を送ってきたのか。
 色々と思うところはあったが、クルーガーの苦労性と一宿一飯の恩を思って、俺は今のことを水に流してやる事にした。
「いいよ、別に。あんたには言葉も飯も世話してもらったし、異世界召喚バナシじゃ高待遇な方だと思うから、間違って連れて来られてたのも恨んでない。だから、俺でよければここにいる間は愚痴の吐きだめになってやるよ。あんたは俺の味方でいてくれそうだしな」
 この前偶然ライトノベルで読んだ異世界召喚物は、召喚されて早々戦場に放り込まれて死にそうな目に遭うわ美女に囲まれても自分を争奪する乱闘で巻き添えを食うわの酷い話だった。
 作り話だが、実際そういう目に遭うと、ハーレムだと喜ぶより不幸だと嘆きたくなるだろう。
 少なくとも、俺はそんなアマゾネスな争奪戦なんぞお断りだ。
 なので、それから比べれば俺はマシな所にいるのだと思う。
 メシはくそまずいが最初から自分に好意的な味方もいるし、戦争なんかも起きてない。
 帰るのには骨が折れそうだが、平和なだけでもありがたいというものである。
 仏の心境でこの世の長閑さを感謝していると、クルーガーも何に感動したのか、今度は嬉しそうに気持ち悪く顔を歪めて涙をだばだばと流していた。こいつは涙腺が壊れているのだろうか。
「アキラさんんんそう言って下さるのは貴方だけですぅうう! 味方ですっ、俺はアキラさんの味方ですよ、ええ! 陛下が簀巻きで海に放り込めと言っても、俺は断固拒否しますからね!」
「ああ……やっぱりそう言うオウサマなのね」
 やはり、その陛下とやらはイワン大帝のような奴らしい。
 何でこう、“帝王”と名の付く奴は性格が捻じ曲がった奴が多いのだろう。
(いや、ゲームのやりすぎか……)
 何にしろいいイメージが無い。
「あっ、そんな場合ではありませんでしたね! さ、行きましょうアキラさん」
「ああ……」
 昨日来た時はかなり広く思えていた庭園も、今の心境じゃ狭いものにしか思えない。
 白亜の石畳の先に有る大門扉が異様に近く思えて、俺はこっそりと溜息をついた。
 あー……会いたくねえ。











  
   





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後書的なもの
  
  アキラは高慢ちきな性格です。
  だが、それがいい。

  

  
  
  

2010/08/28...       

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