階段を上がると、どこかの庭園の東屋の一つに出た。
 庭は金持ちが好きそうな花が咲き乱れる緑の園で、結構強い風が吹いている。
 どこから吹くのかと風が来た方を見て見るが、そこには白く高い壁が在って風の元は解らない。けど、なんとなく潮の香りがした。海が近いのだろうか。
「ってか……白いな、どこも」
 東屋も、パルテノン神殿とかシチリアとかそんなイメージの白い宮殿型のつくりだったし、今歩いている外廊下も何だか地中海とか中近東の宮殿にありそうな廊下だ。
 庭側には等間隔に白い柱が立っていて、壁が無いから庭を延々見ることが出来る。
 壁……多分家の外壁だろう側には、また意味も無さそうで宮殿にありがちな目の痛くなる細かい模様が彫られていた。
 外国の金持ちの城とかは、なんでこう、細かい物が好きなのか。
 じっと模様を見てしまい眉間が痒くなって揉んでいると、男は俺の上着の裾を引っ張ってドアの無い入り口を指差した。どうやらそこから中に入ると言いたいらしい。
 頷くと、男は小さく頷き返して家の中へと入った。
 どうでもいいが、この家でかいな。男が入った所以外にも入口が何個もあったし、庭の向こう側にはまたでかい宮殿っぽいのがある。敷地面積は東京ドーム何個分だろうか。
「ォ、ォーエ」
「あー、すまんすまん、今行く」
 奇妙な呼び声に慌てて家の中に入ると、そこもまた眉間が痛くなるような場所だった。
 あのー、あれ。タージマハルの廊下とか、王室の廊下そういう感じ。
 兎に角豪華できらきらしていて、個人的には物凄く目に悪い光景だ。俺は長時間光物や細かい物に目を向けているのが嫌いなので、余計にそう思ってしまう。
 絨毯なんてビロードとかいうのっぽいし、金糸が入っていそうだ。
 天井も煩いくらい金の装飾があって、壁もなんか細かい模様の壁紙で統一されている。
 所々にある壷や花瓶や鏡もこれ見よがしに金持ちの持ち物っぽい。
 まさに金持ちの家だ。イメージぴったりだ。
 でも、何だかムカついてくるのは何故だろうか。俺が一般市民だからだろうか。
「あーくそ。こんな金あんならとっとと国民に還元しやがれってんだクソ」
「ン?」
「なんでもないっす」
 いや、落ち着くんだ俺。
 ここは異世界であって、これは自分の世界の政治家の持ち物では無い。怒っても仕方ないのだ。
 異世界なんだから、こんな桁外れの金持ちがいてもおかしくない。
(にしても、こうも世界が違うと納得せざるを得なくなるよな……納得すんの嫌だけど)
 鏡に書いてあった銘っぽいものの文字や、通り過ぎるドアに書いてある文字は、明らかに俺の世界の言語では無い。読み方も想像が付かないし、象形文字としか言い様のない絵文字のような形はまさにゲームのソレだ。建物とかなんとかは俺の世界の物と似てるくせに、言語だけ似てないってのはどういうこった。
 これじゃ、状況が把握できない。
 さっきは日本語の「上」とウエが同じだったから理解できただけの話で、俺にはまだこの男の話す言葉がさっぱり解らなかった。これは非常にまずい。
 ジェスチャーだけではどうにもならないし、この男のように親切に何度もこちらが理解できるように教えてくれる人間ばかりでは無いだろう。
 というか、人間だけが存在する世界なのかすら怪しい。
 男の格好からしてこいつは魔術師だとかそういう類だろうし、そうなると魔法だってあるはずだ。
 となれば魔物がいてもおかしくないし、異種族がいる可能性だってある。
 その場合、言語の一つも覚えてなきゃ逃げても無駄だろうし誰かに取り入るのも無理だろう。最悪、この男やここにいる別の人間に、陥れられて劣悪な環境に放り込まれるかもしれない。
 言葉が解らなければ何故自分がここにいるのかも解らないし、帰る術もこの男と屋敷が何なのかも解らない。男が悪人か善人かすら判断できないのだ。
 まあ、悪人だとしてもこいつならすぐに出し抜けそうだが、兎も角。
 なんとかしてこの世界の言葉をマスターしなきゃ、俺は明日にでも死んでしまうかもしれない。
 そんな怯えながら暮らす生活なんてごめんだ。
「くそ……何とかして覚える術はねぇのか?!」
 何か使える物は無いかと必死に周囲を見渡しながら歩くが、有るのは胸糞悪い装飾と閉じられたドアばかり。何にも使える物が無い。ドアを開けて虱潰しに探そうかとも思ったが、もしその部屋に何かいたらと考えると怖くてドアも開けられない。
 何せここは異世界だ。
 扉を開けた瞬間に魔物に食われるなんてありえない話じゃない。
 焦っていると右手に階段が現れて、男はそこを上がってこちらに手招きをしてきた。
 上がれと言うことか。
(……階段を上がるってことは……もしかして、偉い奴に会わせようとしてるのか?)
 大抵、最上階なんかは領主や王様の部屋だ。そうなるといよいよ自分の身が心配になってくる。
 こんな状態で親玉と会っても、どうしようもない。
 俺に不利な条件を提示されても俺は理解できないし、逆らう事もできない!
「うぁあああ……どうしよ……マジでどうしよ……」
 螺旋階段のように捻じ曲がった階段を上がりながら、俺は青ざめて考えを巡らせ続けた。
 だぁー畜生、この手摺大理石だなこんちくしょう。金かけてんじゃねえよ。
 いかん、考えすぎて思考が逃げてる。
 俺の性格がまた悪さを。
「ボ、ボズアウェル」
「えっ、あ、はいはい、そっちですね」
 坊主がアウェイとか煩い。アウェイは俺だ。
 こっちは真剣にこの状況をどうにかしようと考えてるのに、なにその面白言語。
 喧嘩売ってんのか。
 いや、アキラ落ち着け、ここで思考を逃がしてしまったら取り返しがつかない。
 冷静になって打開策を考えるんだ。
「っつっても何もねぇだろおおおお」
 絶体絶命だ。男の足も止まるような気配は無いし、いい案も浮かばないし、もうどうしたらいいのか解らない。一生懸命考えても、こんな状況なんて普段想定してないから、ここで役立つ知識なんて全然持ち合わせていない。誰だ、主人公はこんな時にこそ超人的なひらめきを生むのだとか言った奴は。
 俺は主人公じゃないのか。じゃあ俺の人生って誰のモンなんだコラ。
 …………ああっ、また思考が逃走を!
「ぐああああ俺のばかあああ」
 頭を抱えて体を捻らせて悩んでも、見た目に気持ち悪いだけで言い考えは浮かばない。
 しかしもう考えられないんだって!!
 なんか廊下の行き止まりが迫ってきてるし奥にすげー豪華なデカイ扉が有るし、もうあれは絶対にラスボスの部屋だし! 余命幾許も無い! レベル1装備スキル無しの状態で戦えるかこの野郎! 混乱して当然だ!
 あああ逃げ出したいけど逃げ出してもどうにもならないしいいい!
「神様!! 今度から存在するって信じるから、俺を助けてえええ!」
 と、俺が形振り構わない情けない懇願を天井に投げたと同時。
 ――――俺が今さっき通り過ぎたばかりの扉が開いた。
「…………神様?」
 これがもしや神の啓示という奴か。
 扉が開いたのに誰も出てこないし、中から音もしない。これは本当に思し召しかもしれない。
 男がこちらを首を傾げて見ているが、そんなことはもうどうでもいい。
 こっちは藁にも縋る思いだ、何でも確かめさせてもらう。
「アッ、ォエ!」
「神様頼む!!」
 慌てて駆け寄る男より早く動き、扉を思い切り開けて中に入る。
 神は一体何を与えてくれたのかと見渡して、俺はその時生まれて初めて神が存在することに感謝した。
 何故なら、そこは図書室だったからだ。
「マジかよ……異世界ってマジで神様いるんだな……!」
 サンキュー異世界神! お布施は出世払いで頼んます!
 かなり広い横長の部屋には所狭しと本棚が並んでおり、脇に申し訳程度に机と椅子が置いてある。ざっと見た感じ、それほど蔵書は統一されていない感じがした。
 後ろで困っている男を他所にとりあえず薄い本を取り出して見ると、可愛い熊の絵の上に五文字程度の単語らしきものが書いてあった。中身も俺の世界の絵本と似ている。
 これなら、なんとかなりそうだ!
 ああっ、神様ホント感謝します! 三日ぐらいは!
「よし、あとはとりあえず単語と文法が簡単に書かれてる絵本を……」
「ァ……ァコォ……」
 またアコ、と呼びかけるような声に、そう言えば男がいたなと振り返る。
 相手は俺が何をしたいのか解らないらしく、入口に突っ立ってただオロオロと手を泳がせていた。
 そうだ、コイツにも手伝ってもらえば、かなり早くマスターできるかもしれない。
「おい、ちょっとこい、そこのツラ隠し」
「ォ……ォ・エ?」
「そうそうそこのオエ、ちょっとこい」
「ファェ」
 気の抜けた返事をしながら隣までやってくる男を見て、俺は直感した。
 ……コイツ、頼まれたら嫌と言えない苦労性の中間管理職タイプだな。
 だったら、絶対に俺の言う事を理解したら断れないはず。 
「あのさー、魔術師さん」
 愛想よくにっこりと笑った俺に、不穏な空気を感じたのか男は少し慄いた。
 なんだよコラ、俺の笑顔はうさんくさいというのか。
 いや、怒っている場合では無い。早く男を丸め込まねば。
 俺は五十音表みたいなもののついた絵本を開くと、絵本を指してそれから自分の口を指した。
「俺は、覚えたい。 声、喋る……えーと……。会話、解るか? 会話」
 口の前で手を閉じたり開いたりして、声を出す仕草をする。
 そして絵本を見せて、それを学びたいのだとなるべく解り易くジェスチャーを繰り返した。
 異世界のジェスチャーが通じるのか解らんが、もうこれしか方法が無い。
 最初は男も何をしているのかと首を傾げていたが、数分してようやく俺の言いたい事を理解したのか、なにやら感心したように手を叩いてゆっくりと頷いた。
 これでもし拒否を示したら、泣き落とし作戦に移行する。
 あんまりやりたくないが、これからのためだ。
 俺が覚悟を決めて男の返事を待っていると、男は暫し無言で地面を見つめ――――決心したのか、すっくと立ち上がった。
 さて、合か否か。
 男の答えを待つ俺に相手はにっこりと笑うと、おもむろに別の本棚から分厚い本を取り出した。
「ァ……ァンディタン、ディタンヲソィジャディョゥ」
 そうして、言いながら指を三本立てる。
 もしかして、三時間か三十分時間を取ってくれると言うことだろうか?
 っていうか、教えてくれるのか!?
「やった……! あっ、いや、駄目だ、それじゃ多分覚えられない!」
 真剣に取り掛かっても、それだけじゃ簡単な言葉しか覚えられない。交渉するにはもっと日常的な会話まで覚える必要があるだろう。
 となると、まだ時間が要る。
「ソ、ソゥディジャディクァ?」
 顎に手を当てて思索に耽る俺が変に見えたのか、男は心配そうに顔を覗きこんできた。
 どこまで時間を取ればいいのかは解らないが、五時間は絶対に欲しい。
「……五時間」
「ゴ……?」
 右の両手を広げて、俺は数を数えるように指を順番に折った。
 この男もかなり理解力があるだろうから、これで俺がどのくらい時間が欲しいか解るはずだ。
 その目測は当たったようで、男は大げさに驚いたが、ひとしきり悩んだ後溜息をついた。
 やった。これは折れた証拠だ。
「ワタィジャディクァ……」
「やった!」
 五時間、それだけあれば、簡単な会話は覚えられる。
 テストを開始十分前の暗記で乗り切るのが俺の得意技だ。
 それを考えればこんな短時間で会話を覚えるのなんて容易い。それに、解説してくれる人間まで付いているんだ。これなら、どうにかなる。
 いや、どうにかしないといけないのだ。
 覚えられなければ、俺はどの道この世界で死ぬ。
 元の世界に帰りたいなら、ここでこの世界の言葉をマスターするしかない。
「……五時間。五時間で、俺は異世界語を理解するんだ」
 自分に言い聞かせるように呟いて、俺は男と席に付いた。











  
   





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後書的なもの
 
 
  アキラは、作中ではあんまり描写しませんが
  いわゆる天才です。
  

  
  
  

2010/08/28...       

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