十九回目










  
 黒い大翼が羽撃き、ゆっくりとセオは地上に降りる。その間に幾らでも攻撃できる暇はあったと言うのに、異形はただ責めあぐねているかのように蠢いているだけだった。
 一瞬ヒーローの変身時間を気遣う悪の心境かとバカな事を考えたが、異形を見つめるセオの横顔を見て、それは間違いだったと気付く。
 セオの顔は、辛辣な思いで悪を見つめる表情そのもの。
 異形は、セオに隙を見出せなかったのだ。
「……セオ……」
 ゆっくりと起き上がり、シャツを手で束ねる。
 声もまだ震えていて情けないことこの上なかったが、セオはそれをからかうことも無く、こちらに背を向けたまま大仰に肩を竦めた。
「徴矢の方が早かったみたいだね。……遅くなってごめん。いや、お腹が減っちゃって……手っ取り早くそこらへんの人間を誘惑して何人か食べてみたんだけど、どうも満腹にならなくってさー。あはは、結局腹二分目だよ」
 やっぱり徴矢の快楽は食べていなかったのか。
 何だか申し訳なくて眉が寄る。そんな徴矢の表情を感じ取ったのか、セオは顔だけを少し振り返らせて心配ないと笑った。
「約束を破った僕が悪いんだ、だから、徴矢は何も悪くないよ」
「約束って……」
 言いかけたと同時、異形がセオに隙を見たのか無数の爪を四方空中から伸ばしてくる。
 思わず息を呑んだ徴矢に、攻撃される当の本人は笑んだままで続けた。
「忘れちゃったの? 酷いなあ」
 困ったように眉を顰めるセオを、爪が襲う。
 が、もうすぐ届こうかという距離で、すべての攻撃は弾き飛ばされた。
「“僕を信用してくれたら、一生離れない”って、言ったでしょ」
 攻撃を苦もなく防御して、心配は無いと笑う、本当に嬉しそうなセオ。
 この非常事態になにを暢気にしているのかと焦りが湧かないでもなかったが。
「…………バカ」
 長い告白の中に埋め込まれたそんな口説き文句なんて、約束にならない。
 知らぬ振りでいれば、それすらも反故になったと言うのに。
 けれど、それを嘘にはせず戻って来てくれた悪魔に、徴矢は罵倒して崩れた微笑を返した。
「その馬鹿を信用して叫んでくれたから、僕は今ここにいる」
「…………」
 自信に満ちた美しい翠の瞳が、光に照らされてエメラルドのように強く輝く。
 その背後で、先程よりも倍以上の爪が空から降り注ぎ光を覆い隠した。徴矢は瞠目したが、セオはそんな徴矢を見つめたままで、ふっと片手を爪の覆う空へと掲げる。
 速度を増した爪の大群が、一斉に降り注ぐ。
 刹那、透明な緑色の美しい光の膜が円形に展開し、黒い雨を全て弾き飛ばした。
 黒の隙間に浮かび上がる陽光にちらちらと照らされて、またセオの瞳が輝き出す。
 見惚れて口を少し開いた徴矢に、相手は蕩けそうな笑みを満面に湛えた。
「徴矢、この全てが終わったら……僕の一世一代の告白、聞いてくれるかな」
 声だけは真剣で、けれど笑顔は消えず。
 この状況を他所のものだとでも言うように、背景とまったく合わない顔でそんなことをいう悪魔。
 徴矢は呆気に取られて半開きの口を大きくあんぐりと開けて、目を瞬かせた。
(こいつ……アホと違うか……)
 戦闘中に、告白予告。しかも一世一代の、ときた。阿呆らしいにも程がある台詞だ。
 しかし、と徴矢は口を弧に歪める。
 しかし何故か、セオの真剣な思いだけはしっかりと感じることが出来た。
「……解った。全部、終わったらな」
 不敵に微笑んで応えた徴矢に、セオは大きく頷いて顔を正面に戻した。相変わらず黒の雨がセオを切り裂こうと降り注いでいるが、不可思議な壁に阻まれて弾け飛びすべてが霧散する。
 無駄打ちを、と嘲笑して、セオは使っていなかった片方の手を掲げ人差し指を空に走らせた。
「『鏡、湖、大洋、雷。撥ね返し揺らげ。己の主の下へ』」
 判別不能な軌跡を描いた指に、言葉が反応して光が集う。
 光は球となり、今まで見えることのなかった透明な壁に蜘蛛の巣のように這い回った。
 と、今まで弾かれるだけだった黒い雨が、光に吸収され始める。
「……!?」
 異形は慌てて爪を切り離し防御をしようとするが、遅い。
 爪を吸収した光が外側へと膨張し、一気に飲み込んだ爪を異形目掛けて吐き出した!
「ァア゙ア゙アァ゙ア゙!!」
 己の武器に体を貫かれて異形が恐ろしい声で鳴く。
 腹の底をぐらぐらと揺らすようなその音に身が竦んだものの、徴矢はセオの背を見続けた。
 まるでアニメでも見ているかのように、信じられない光景が目の前で繰り広げられている。透明な光の膜なんてサイバーパンクかファンタジーでしか見たこともないし、セオの先程の呪文のような言葉で発動した光の網もフルCGの映画かと思うほど現実離れしていた。
 だが、これは現実なのだ。
 異形も、魔法も、叫び声も、悪魔も。
 すべてが現実で、そして今、自分はそんな非現実的なものに守られている。
 しかしもうそれを否定する気はなかった。
「効いてるけど……浅いな……」
 背中越しにふいに聞こえた声に、徴矢は眉を顰める。
「ヤバイのか?」
「うん、巨大すぎてカウンターがあまり効いてないんだ。……一応徴矢の友達だから、手荒な真似はしたくなかったんだけど……これじゃあ本格的な戦闘になりそうだね」
 かなり容赦なく反撃しておいて、あれで手荒では無いと言うのか。
 ではセオの本気の力はいかほどなのかと薄ら寒くなった徴矢に気付かず、セオは続ける。
「普通のラルヴァならそれを直接狙えるし、幾らやりすぎようと誰も傷つかないからやりやすいんだけど、アレはクロカミ君の内部から発生してしかも宿主を体内にしっかり取り込んでいる。うっかり火力を上げすぎちゃうと、内部で核になってる彼にも甚大な被害を与えかねない。僕はそれでもいいけど……徴矢は嫌でしょ?」
 それとも攻撃していい? と首を傾げながら聞いてくるセオに、徴矢は慌てて首を横に振った。
 例え本心は賢吾を疎い自分に歪んだ執着心を持っていても、賢吾を酷く傷つけた憎らしい奴でも、やはり黒髪は黒髪だ。自分達に救われたことや、虐められても尚強い決心で大学へ通い続けたことは、偽りでは無い。同じオタクだから解るが、黒髪の魔子ちゃんへの情熱も本物だった。それに、あの時徴矢に泣きついた黒髪は、純粋にただ庇護を求めていたのだ。
 黒髪のその事実とあの時の心だけは、信じてやりたい。
 そして、罪は罪としてきちんと対峙すべきだ。
 異形としてではなく、黒髪という人間として。
 だから、できるなら黒髪には攻撃をしないで欲しかった。
 セオは徴矢の反応に少し面白く無さそうに片眉を上げたが、小さく溜息をついて異形へ顔を戻し口を引き締める。
「しょうがないね。僕の愛しい人がそういうなら、他の方法を考えよう」
「せっ、セオ……!」
 身も蓋もないようなあからさまかな言葉に顔の筋肉が変に動くが、怒る暇もなく異形が意気を取り戻してまた爪を伸ばしてきた。それを同じように防御して、セオは開いた片手を顎に当てる。
「しかし難しいな……策はあるにはあるんだけど、こんな調子じゃうっかり中身まで切っちゃいそう」
「おいっ! 不吉な事言ってないでその方法を言えよ!」
 嫌な事を言うなと声を荒げる徴矢に背を向けたままでセオはあははと笑った。
「いや、ね……ラルヴァは“人の負の感情”に取り憑くんだ。だから、記憶を共有して内部に入り込んで、相手を改心させちゃえばなんとかなるかなあと思ったけど……。よく考えたら僕はクロカミ君のことを好きでもなんでもないし、寧ろむかつくし……」
「うるせーバカ! いや、っていうか待てよ、それってようするに……黒髪の記憶に自分の意識をねじ込めるってことなんだよな……そんなこと出来るのか?」
「徴矢、忘れた? 僕の能力。一番最初に見せてあげたじゃない」
「一番最初って……」
 といわれて、数秒の後徴矢はあっと声を上げ口をぽかんと開けた。
 ――――そういえば、セオが召喚された時、自分の行動が不審だと相手は不可思議な事をしていた。
 猫の目のように変化した瞳と、意味不明に急な衝撃に襲われた心臓。後にまるで見ていたように告げられた、悪魔が知る由もない召喚する前の出来事。説明のしようが無い現象。
 もしかして、あれも魔法だったのか。
 納得しようとした徴矢にセオが説明を足す。
「あれは僕の本来持つ、僕の一族だけの能力【秘密を暴く力】さ。魔法じゃないよ。召喚者の命令によるもの以外の制約は無いし、口上もなく発動できる。だから、彼の視線が一瞬でも僕とかち合えば記憶に侵入できるんだけど……」
 あの状態じゃあね、と器用にあらゆる方向から来る爪をはじきながらセオは言葉を濁す。
 確かに今の黒髪……異形は、本人を影で覆い肥大している上こちらを攻撃してくる。先程の反射攻撃の傷ももう治っていた。これでは、幾ら攻撃しても黒髪が見えるまで腹を切り開けないし、セオの言うようにこの集中砲火に手加減を忘れてしまう可能性もあった。
 何か策は無いのだろうか。
(でも俺が戦闘に参加できるわけでもねーし……つか、召喚者とか言ってもあんまり俺それらしいことしてねえよな……。俺が何か変な魔法か毒草でも使えたらよかったんだが……)
 魔子ちゃんは悪魔を立派に使役して戦闘もこなしていたが、普通のオタクの自分には何も出来はしない。魔力なんて物があるわけが無いし、頭だって良いワケでは無い。喧嘩なんてもってのほかの準もやしボディなのだ。こんな状況で出来る事など、何一つない。
 救いたい人間を救えもしないのだ。
「……せめて俺にも魔子ちゃんみたいな使役力があればな」
 ぼそりと呟く徴矢に、セオが振り向く。
「…………ねえ徴矢。徴矢は、本当に黒髪君の記憶に介入してまで、親友を傷つけた彼を助けたい?」
 突然の問いに目を丸くしたが、徴矢はもう迷わなかった。
「助けたい。……賢吾を攻撃した時の心が本当の黒髪だったとしても、俺はあいつを止めなきゃいけない。自分が何をしたのか、自分がどうするべきなのかを、言ってやらなきゃならないんだ。……ココで逃げたら、俺は所詮その程度の友達になっちまう。中途半端に付き合うのは黒髪に対する裏切りになる。無関心や虐めが黒髪をこうしちまったんだ。……だから、俺はあいつに……腐れた感情に縛られてる黒髪に、言わなきゃいけない」
 なにを、とはセオは聞かない。
 ただ真剣に見つめ返す徴矢の目を見たまま同じ表情で黙っていたが、やがて小さく頷いて片手を徴矢に差し出した。少々苦しそうな体勢にどうしたと眉を顰めていると、セオは笑って手を揺らす。
「徴矢には敵わないなあ。……うん、僕も覚悟を決めたよ。……本当は僕の前に出したくなかったんだけど、そこまで言うのなら徴矢の言う通りにしてあげる。それ以外にクロカミ君を助ける方法もなさそうだしね」
「セオ……!」
「ただし、記憶に介入するのは僕だけじゃない。徴矢、君も一緒に入ってもらう。そこで、その“腐れた感情”に縛られたままのクロカミ君に話してあげて。上手く行くかどうかは解らないけど、これが一番可能性が高そうだから」
 望むところだ。黒髪の意識に介入できるのなら自分がやりたいと思っていた所である。
 手に縋ろうと身を乗り出す徴矢に、だけど、とセオは顔を険しくした。
「彼が徴矢をどうにかしようと思ったら、僕は迷いなく彼ごとラルヴァを消すからね。僕は本来彼を助ける為にここに留まってるんじゃない。徴矢の為に、徴矢を救う為にいるんだから」
「……わかった」
 些か気になる部分はあったが、セオはそれでも譲歩してくれているのだろう。
 立ち上がり素直に頷くと、セオは満足げに口を歪めると自分の懐へ来いと指を動かした。
「僕の胸に背中をくっつけるようにして。今から防壁を解くから、決して僕から離れないように。あと、くっついて貰わないと連れて行けないから」
「わ、わかった……」
 何だか嫌な感じがしたが、この状況で四の五の言っていられない。
 ぴたりと密着した途端に相手の体格の良さと胸の広さを思い知ったが、そんな場合では無いと頭を振って徴矢は異形を見据えた。セオは文句も言わず言う通りにした徴矢に満足げに微笑んで、開いた手でぎゅっと徴矢を囲い込み、空に掲げた手をゆっくりと下げる。
 異形は何が起こるのかと一瞬爪を止めた。
 が、それがすぐにまたとない機会と見取って、剣山かと見間違えるほどの量に爪を束ねてこちらへと向けてくる。思わず目を剥いてセオに背中を擦り付けた徴矢に、抱く相手は大事無いとでも言うようにふっと笑いを漏らして、真正面から襲う剣山に人差し指を向けた。
「『撓れ、暴発の風』」
 囁かれる言葉に、轟と音を立てて剣山が対峙する。
 思わず閉じようと細くなる視界で、徴矢は一瞬の内に起きた光景にまた大きく目を見開いた。
 ばちん、と控え目な音がして、轟音の剣山を、指が撥ねる。
 いや指が剣山を弾き飛ばしたのでは無い。あと数センチに迫っていたそれを、空気が弾いたのだ。
「チャンスだ。徴矢、異形を切開するよ!」
 大きく束ねすぎた爪は主を引っ張り体勢を崩す。
 揺れた異形に隙を見て、セオは一度拳を握って手を開くと、また人差し指で何かを描き始めた。
 紋章とも落書きとも付かぬ意味不明な紋様が空に光の奇跡となる。ただの線の乱雑な交差としか思えないそれは一気にまとまり一つの平たいものになり、セオの指に付いた。
「『切り裂くもの、肉を断ち核を目指せ』!」
 平坦な光の板が尖り刃となり、未だに体勢を持ち直せない異形に鋭い音を立てて飛ぶ。
 気付いた異形が体を屈めて刃を躱そうとしたが、刃はぎゅい、という奇妙な音を立てて進路を変更するとそのまま異形の真正面目掛けて突き刺さった。
「グ、ァ、アァ゙アアァア゙ア゙!!」
 光は影にめり込んで、影を内からほんのりと照らす。だがその柔らかな光とは裏腹に、剣は残酷なまでに影の内に進んでいくと、そのまま絹を裂くような形容し難い嫌な音を断てて下降した。
 耳を塞ぐ徴矢に構わず、剣は異形を真っ二つに切り裂いていく。
 分厚い影が切られていくのがまるで本当の分厚い肉が切られていく光景に思えて、目が閉じようとする。が、切り裂かれた体内に微かに光るものを見つけて、徴矢は一気に目を剥いた。
 あれは、黒髪のメガネだ。無意識に口が開く。
「黒髪ィ―――――ッ!!」
 声に呼応するように、ずるりと音を立てて体内から目を閉じた黒髪が見えた。
 叫ぶと、反応して微かに相手が動く。こっちを見ろと願いにも似た焦りを籠めて、徴矢は必死に呼び続けた。だが、ゆるゆると動く黒髪に気付いたのか、異形も焦り出して体勢を立て直し影を元に戻そうとし始める。
「させないよ!」
 閉じようとする影に向かって指を動かし、セオが更に異形を切り刻み影を散らした。
「黒髪、俺を見ろ……っ! こっちを向けぇえ――――――!!」
 今発することの出来る精一杯の声で、懇願でもするように相手の名前を呼ぶ。
 ――すると。
「…………あた、ご……?」
 いつものあの声が、小さく聞こえた。
 まるでテレパシーのように心の中に響いた声に、徴矢は叫ぼうとして開いた口を固め止まる。
 凝視した先の相手は、ゆっくりとこちらに顔を向けて――――
 目を、開いた。
「黒髪!!」
「今だ! いくよ徴矢!」
 セオの指が横一文字で空を切り、今まで攻撃に備えていた手も徴矢をぎゅっと抱きしめる。
 その縛めの強さに一瞬心臓が止まりそうになったが、構う暇はなかった。
 セオの目がこちらを見る黒髪の視線をかち合い、急激に瞳孔を閉じる。
 昼間の猫の目のように細くなったそれを逸らさず相手に向けて、セオは囁くように徴矢に言った。
「徴矢、僕がいるからね」
「…………おう」
 他人の記憶に入ってどうなるかなんて、考えることも出来ない。
 恐ろしくないといえば嘘になっただろうが、セオのその言葉だけで何故か徴矢の不安は消えていた。もう恐ろしくは無い。考えようが無くとも、悩んだりはしない。
 自分を強く抱きしめてくれる悪魔に、徴矢は身を委ねるように目を閉じた。

 










    

   





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後書的なもの
 雨降って、地、歌丸。
 実はこの回が一番早く出来上がりました。
 次の回(核心部分)が一番遅かったです…。
 互いを信じあうっていうか、本気で信じてると
 何もかもが出来る気がしてくるのが徴矢です。
 そして何もかもが出来るのがセオです。
 互いを信用している関係ってのがやっぱり好きですわ〜(´∀`*)ウフフ
 そんなわけで次回は徴矢が単独対決です。
 ウィンガァーディアム、レビオッサーン




2010/04/21...       

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