十ニ回目









 結局午後の講義はそれ一時間しかなかったため、三人は少し気まずい形で帰路についた。
 賢吾は徴矢と黒髪の何ともいえない雰囲気に珍しく黙り込み、徴矢はというと、あれ以降数十分黒髪に胸を貸していたせいかどうにもまともに顔が見られなくなり、同じようにぎこちない動きになっている黒髪と空々しい会話をしていると言う状態だった。
 そりゃあそうだろう。
 二人ともあの時は頭に相当な温度の熱が上がっており、感情の箍が外れていて正気ではなかった。だからこそ全てが落ち着いて冷静になった時、どうすれば良いのか解らなくて二人とも気まずい時間を過ごしてしまったのである。
 この感情は、友達と桃鉄(※ボードゲームのこと)をやっていて、ついつい本気になってしまい友達を完膚なきまでにぶっ潰してゴールし、「よっしゃぁああああ!!」とか叫んでガッツポーズをしてしまった時の気まずさと凄く似ている。
(だがそもそもあのゲームは、ああいう殺伐とした気まずい雰囲気になるように作られてる気が……)
 いやそんな事はどうでもいい。
 兎も角、物凄く暗くて会話が出来なさ過ぎて、徴矢は完全に自己嫌悪に陥っていた。
 黒髪に胸を貸す、何でも話せと言ったのは自分なのに、いざ実行されたら途端に慌てて冷静にもなれなかったなんて、男として情けない。こういう場合、相談される側ならば何事にも動じず、坊主のようにアルカイックスマイルで優しく話を聞いてやれるくらいの心の余裕が無ければならないのに、自分ときたらこんな些細な事で恥しがるやら驚くやらで本当に頼りない。
 これでは台詞負けもいいところだ。
 男として情けないと思いつつ、結局徴矢はろくに話もせず帰ってきてしまった。
(ま、まあ一晩経てばきっと大丈夫だろ……)
 何が大丈夫なのかと自分に聞きたいが、とりあえず今日はもう考えたくない。
 セオが部屋に入ったのを確認して扉を閉めると、徴矢は靴を脱いで溜息をついた。靴下を適当に洗濯物入れに放って首元を絞めていたタイを緩める。日常になった仕草を作業的にこなしながら、徴矢はふと最近加わった日常の動作に思いを馳せた。
 この前までは、このまま部屋着に着替えてパソコンに向かうのが日常だったのだが、今は少し違う。徴矢が着替える短い時間にセオがテレビをつけ、教育テレビに齧りつく。それを苦笑しながら自分は一緒になって六時台までのアニメを楽しんでいるのだ。
 教育アニメなんて、全く興味が無かったのに。
(うーん、慣れとは恐ろしい)
 しかし、今日は少し様子が違っていた。
「……あれ?」
 いつもなら聞こえてくるはずのトンチキなアニメのオープニング曲が聞こえない。
 ただ静かで、部屋は誰も居ないようにしんとしていた。何事かと思って部屋に戻ると、セオが一つしか無い小さな窓にじっと目を向けていた。こちらに背を向けて、無言で立ち竦むその姿に少しだけぞくりとしたが、その感覚が何を表すものなのか解らずに徴矢は首を傾げてセオに近付いた。
「セオ、どうした? もうお前の好きなアニメ始まってんぞ」
 呼びかけてみるが、相手は反応しない。
 斜陽を浴びて影を作っている相手が何故か恐ろしく思えて、徴矢は少し気後れした。
 そんな徴矢の様子を見ているかのように、後ろ姿のセオはぽつりと呟く。
「……ねえ、徴矢。今日の昼、あの眼鏡の子と何してたの?」
 いつに無く低い声の問いかけに、徴矢は無意識に顔を歪ませて恐る恐る答えていた。
「な、何って……黒髪がリンチにあったから、慰めてただけで……って、お前見てたのか?」
 こちらから問いかけるが、セオは答えない。
 重い沈黙を強いながら、相手はこちらの声など聞こえないようにまた口を開いた。
「男に泣きつかれて、徴矢はずっとあの子を抱いてたけど、あれはなんで?」
「何でってそりゃ、相手が泣き止むまでそうしてやんなきゃならんだろ、慰め役は」
「じゃあ徴矢は誰にだってああするの? 友達ならああして胸を貸して抱きしめてやるの?」
 声は相変わらず低く安心できない声だったが、台詞は速度を増していく。まるでこちらを責めているようだ。そこまで考えて、徴矢は片眉を上げた。
 どうしてそこで自分がセオに責められなければならないのだろうか。徴矢としては友達として当然の事をしただけだし、あの場では黒髪を宥める方法はああするより他無かった。なのにそれを部外者であるセオにああだこうだ言われるのはどうも我慢が出来ない。
 恐ろしさよりも苛立ちが勝って、気付けば徴矢は言い返してしまっていた。
「あのな、どうして俺がその事でお前にどうのこうの言われなきゃならんのだ!? お前には全然関係ない話だろうが、なのに一々小姑みたいに質問してくんじゃねえよ!」
「へえ、そう。……僕には関係無い事なんだ」
 端的な言葉に顔が勝手に青くなるが、徴矢にはどうすることもできなかった。
 窓の外を見ていた顔が、ゆっくりとこちらを向く。
 また、あの無表情で冷たい顔だ。
「セ、オ……」
「……今のは、大分傷ついたなあ。」
 酷く低く、ゆっくりとした声でセオが呟いた刹那。
「っ、うぉおっ!?」
 クレーンに持ち上げられたかのように体が一瞬で宙に浮き、いきなりベッド側の壁に叩きつけられ乱暴にベッドへと投げ出された。
 一瞬の内に起こった出来事に脳が付いていかず、徴矢は痛みを訴える体を丸めながらただただ驚愕を浮かべた顔で震えているしか無い。セオは無表情のままそんな徴矢の体をつかみ、仰向けにして圧し掛かる。見開いた目に映るセオは、これまでにないくらい冷たい目をしていた。
「せ……」
「そっか、また、僕には関係ないんだ」
 思わず名を呼ぼうとした口が、掌に拘束される。
 何をするんだと手を動かそうとしたが、手は持ち上がらなかった。足も、まるで磔にされたかのように大の字で動かない。初めてセオに快楽を与えた時のように、魔法か何かの力で自分の意志では体を動かすことが出来なくされている。セオを睨みつけるが、相手は冷たい無表情のままでそのままシャツの胸元から手を差し入れ、シャツを軽く引き千切った。
 瞠目する徴矢の前で、ボタンが飛び散る。
 まるで紙にでもなってしまったかのように簡単に裂かれたシャツが、そのまま無理に体から引き抜かれて放り投げられる。何が起こったのか解らない。
(なんだよ、これ……なんなんだ……!?)
 何より、今まで本当に乱暴な事は一つもしなかったセオが、こうして自分を襲おうとしているのが信じられなかった。同時に、この数日間でこの悪魔を人畜無害と信じていた自分に驚きと呆れが浮かぶ。こんな悪魔の何を自分は信用していたのだろうか。
 だが混乱の波には勝てず、冷静な思考は流されていく。次にズボンに手をかけたセオに、徴矢はいよいよ危険だと大声を出して吠えた。
「だっから……っなんなんだよ!? 俺は別にお前を無視もないがしろにもしてねーじゃねーか!! なのになんでこんな真似すんだよ! 俺の友達慰めて何が悪い、お前の友達じゃねぇんだ関係ないに決まってんだろ! なのに何でこんなこと……っ」
 急に言葉が詰まって、喉が絞まる。
 また魔法でも掛けたのかとセオを睨んだが、それはただ自分が何も言えなくなっただけだった。
「…………僕さ、おかしいんだよ。悪魔だから」
「……?」
 小さく開いた口から漏れた言葉に、疑問を持って眉が寄る。
 だがセオは徴矢をじっと見つめたまま、徴矢の表情に気付かないのか無表情で続けた。
「だから、何で徴矢が怒るのか解らない。……僕は、徴矢が大好きなのに」
「セオ……?」
 問いかけるが、相手は応えない。
 相手の言っている事が解らない。だが、その台詞の最後の一言が何故か胸に残った。
「大好きだから怒らせたくないんだけど、どうしてかな。徴矢が嫌がってたこと、今やりたくてしかたないんだ。……僕は、徴矢を、壊したくてしかたない」
 笑顔でも困った顔でも悪魔のような顔でもない。
 ただ、無表情で坦々とした声で呟くように言うセオ。
 徴矢はまた初めて知るセオの顔に瞠目したが、相手はもう徴矢を見ていなかった。
「僕にもよく、わからない」
 そう言ったと同時、セオは下着ごと徴矢のズボンを抜き取る。無造作に投げ捨てて、開かれた股の間に割り入り、そのまま屈んで胸に口を寄せる。
「んっ、っ……!」
 皮膚を噛まれながら、強く吸われる。後には鬱血した痛々しい跡が残っていた。己の胸につけられた印に目を細めるが、セオは止まらず何度も違う場所に跡を残す。舌を使いながらわざと徴矢に位置を知らせ、肌を登り、首筋に辿り着いてまた噛み付きながら吸い付く。
 何度目かのセオのキスに、徐々に熱くなって来た体がビクリと反応する。無意識の行動に歯を噛締めて耐えようとしたが、何度も快楽を与えた体は行為に慣れてしまい、最早徴矢の理性ではどうする事も出来なくなっていた。それをいいことに、セオはもう一度首筋の別の場所に口付ける。
「んっ……くっ…………やめ、ろ……!」
「なんで? 徴矢は気持ちよがってるじゃない」
 ちゃんと解ってるんだよ、と肌に息を吹きかけられて、敏感になった胸が跳ねる。
 快楽を糧として取り込む悪魔には、虚勢さえも見破られていた。だが、だからといって快楽に身を委ねる事など徴矢にはできるはずがなかった。第一この状況は強姦と同じこと。望んでいない行為を強制されているのに、自分から喜んでいられるはずがない。
 徴矢はセオを睨みつけたが、セオは感情のこもっていない顔で嬉しそうに笑った。
「ほら、ここも立ってる」
 言いながら、半立ちの徴矢の乳首を指で弾く。
 柔らかい場所への唐突な刺激に、体が大きく反応する。それに薄く笑みを浮かべて、セオはそのままもう片方の乳首へと口を寄せた。
「…………ねえ、知ってる? 快楽ってさ、酷い事されたほうが……もっと美味しくなるんだ」
「……!?」
 いつもより低く吐き出された声に驚いて顔を顰める前に、セオは行動に出る。そのまま徴矢の乳首を口に含み、いきなり自身を掴んだのだ。急な行動に息を止めると、セオは自身の根元を指の輪で括り、一度絞めた。思わず歯を噛む徴矢に構わず、そこから強く自身を擦り始める。
 口では乳首を獣のように乱暴に舐め回しながら、時折強く噛み付いた。既に開発されていたそこは痛みを覚えつつも、びりびりと痺れるような快楽を頭に流し込んでくる。
「いっ、あっ、いたっ……いたい、て、っ、あ、んぁあっ……!」
 抗議しようとするが、自身を忙しなく擦る手に耐えられない。その内その手は親指を先端の鈴口へと当てて、ぐりぐりと強烈な刺激を与え出した。
 こんなの、耐えられるわけが無い。
「やだ、いやだって、セオっ、セオぉ……! ひっ、あ、っあぁあ! あ゙っぁあぁ……!」
 頭をベッドにめり込ませ、喉を反らせて必死に叫ぶが、セオは止めようとしない。
 強い白い光が頭の中を照らすような、感覚全てを鈍らせる凄まじい快楽。だがそれに酔えもせず、徴矢はただ喘いだ。腰はビクビクと動き、足は攣りそうなほど力が入っているのに、解放されることが無い。待ちわびている終わりを感じようとしたが、頭を揺らすのはあの快感だけで終わりが無い。
 涙をぼろぼろと流しながら何故だと心の中で何度も叫ぶが、理性から遠く離れた頭には答えが出せなかった。セオは混乱する徴矢を見て、ようやく胸から顔を離す。
「ねえ徴矢、イケないって思ってるでしょ?」
 問われるが、自身を弄る手が止まらず口は喘ぎ以外の言葉を出す事が出来ない。
 徴矢は心の中で悪態を吐きながら、それでも必死に震える顎を叱咤して答えた。
「お、まえッ……ん、んぅうう……! なに、か、っ、ふ……しあ、あぁあ!」
 言葉にならない言葉を、先端をまた強く弄われて更に意味不明な言葉にされる。
「何かしたかって? うん。したよ。……シロップってさ、煮詰めれば煮詰めるほど凝縮されて、とっても甘くて美味しくなっていくよね。メープルシロップとか、さ」
「っ、あ、っ……?」
「快楽って、果てる瞬間が一番凝縮されて美味しくなるんだ」
 にこりと笑うセオに、徴矢はようやく相手の例え話の意味を理解して瞠目する。
「おま……まさ、か……っ」

「狂うまで、凝縮させたら…………どんな素晴しい味になるかな」

 ぼろぼろと零れていた涙が、引く。顔が青くなるくらいでも飽き足らなくなるようなその言葉に、徴矢は唇を恐れに震わせた。セオは、冗談で言っているんじゃない。
 本気だ。
「せ、お……」
 溜まり始めた別の感情の涙が、視界を霞ませて相手を暈す。だが言葉の恐怖を暈せはしない。
 無意識に読んでしまった相手の名前を、セオは味わうように聞いていた。だが、やがて手を動かすことも止めると、ゆっくりと徴矢の鼻の先まで顔を近づけてくる。
 笑っていない目で微笑むセオは、今までのセオより、何よりも、怖かった。
「…………徴矢。僕、徴矢のその顔も好きだよ」
 歯が情けなくカタカタと鳴る。
 今まで一度としてこんな“本当の意味での恐怖”を覚えた事のなかった。思えば一番最初の恐怖は、なんて軽いものだったのだろう。いつのまにか同じ時間を過ごし、少なからず信用し始めていた悪魔に殺されるかもしれないことに比べれば、あの恐れはなんとも幼稚なものだった。
 好きだと言われているのに、いつもなら気持ちが悪いと突っぱねてもいいのに、今は何も言えない。
 ただセオの一挙一動に怯え、どうする事も出来ずに情けなく体を震わせているしかなかった。
 そんな徴矢の頬をゆっくりと撫でながら、セオは酩酊の心地に陥ったような声で囁く。
「きっと、死んで朽ちても好きなんじゃないかなあ。だって、好きなんだもの、ねえ。どんな顔の徴矢も好きなんだよ。怒られてる時だって、本当は僕は嬉しくて、興奮して、堪らないんだもの。そんなこというと徴矢は口も聞いてくれなくなるから、いわなかったけど」
 変態だ。そんなことで昂奮するなんて。
 だが悪魔に常識なんて通用しないと理解し、そんな口を叩ける勇気など無くなってしまった徴矢には言葉を発する事もできない。セオはただ聞くことしか出来ない徴矢に目を弧に細める。
「好きなんだ、ねえ、好きなんだよ、徴矢。僕、冗談で言ってるように聞こえるかもしれないけど、好きなんだよ、徴矢のこと。今も昨日よりもっともっと好きなんだ。でも、なんでかな」
 言いながら、人差し指が胸につき、ゆっくりと下へ進み始める。
 汗を伸ばすように、腹の線を辿るように伝い、自身の脇を抜けてまだ進む。
「酷い事、したいんだ。徴矢が嫌だろうなって思うことしたいんだ。なんでだろうね。僕、普段は笑う君が一番好きだよ。だって可愛いもの。怒る顔も勿論好きだけど、機嫌が悪くなるなら怒らせたくないし、ずっと僕と一緒にいてほしいなって思うんだ。でもね、今は違う。徴矢が怒ったって、死んだって……滅茶苦茶にしてやりたくなるんだ……」
「ひっ……!?」
 恐ろしい言葉と共に、その指は目的の場所に辿り着く。
 排泄するためだけのそこを強く押して指を挿入しようとしながら、セオはまた笑みを深くした。
「ここが、最後の徴矢の感じる所。……徴矢が嫌がるって解ってたけど、感じたことのない新しい快楽を得る事の出来る場所だよ……ねえ、ここに何をするか知ってる?」
「……っ……」
 知っているが、それはせせら笑ったボーイズラブ漫画とやらと、ネットで冗談のように言われている言葉でしか知らない。そこに何をするかなんて、答えたくもなかった。
 怯えた顔で、それでもセオを睨みつけようとする徴矢にセオは口角を上げる。
「知ってるよね。……ここに、徴矢にもついてるこれを、入れるんだ。…………徴矢、僕ら悪魔も基本的な構造は人間と一緒だって言ったよね?」
「…………」
 考えたくない。
 それだけは、絶対に嫌だ。
 ついに目を逸らした徴矢にセオは笑顔を失い、また無表情になる。しかしそれだけでは終らず、セオは徴矢の顎を掴んで無理に顔を戻した。思わず目が戻り、セオの視線とまたかち合う。
「徴矢が聞きたくないって言った、もっと効率よく快楽を摂取する方法、教えてあげる」
「ききたくな……っ」
「僕が徴矢のココに、僕のモノを入れてセックスすれば、二日は持つ。何度も何度も貫いて、どろどろにして、気絶するまでしてあげる……そうすれば、二日と言わずかなりもつんだよ、徴矢」
「嫌だ、聞きたくない!!」
 女でも無いのに、女の器官もついていないのに、何かを入れるための器官ではないそこに異物を入れて女の様に扱われて喘がされるなんて、絶対に嫌だった。徴矢は男だ。二次元を愛するオタクだが、普通に女性が好きで、ホモなんてごめんで、掘られる事なんて考えた事も無い普通の思考の男なのだ。絶対に、こんなことを行うような人種の人間じゃない。したくないのだ。
 固定観念だと解っていてもそれは捨て切れない。
 徴矢にとって、セックスとは男女のもので、男同士で行うものだとは理解できなかった。
 けれど悪魔は目を細め、無表情で何事も無く囁いてくる。自分が行うべきことではない事を、無理に行おうとしているのだ。徴矢の秘部をこじ開けるように弄る指は、ずっと張り付いていた。
「ね、嫌がるでしょ? でもね、駄目だよ。僕、徴矢と繋がりたいんだ。例え徴矢が泣き叫んでも、喚いても、僕を怖がっても、僕は徴矢と繋がりたい。壊れたって繋がりたいんだ」
「やめ……ろ……」
 恐怖に顔が歪み、目尻に涙がたまる。声は掠れてみっともなく震え、威厳も何もない。
 だがセオは徴矢を恐れさせる事を止めなかった。
「なんでかなあ。……徴矢に嫌われるかもしれないのに、僕は徴矢を好きなのに、徴矢の嫌がる事をしたいんだ。徴矢と、繋がりたいんだ」
 ――――辛そうな、自分とは違った掠れ方をした声。
 心の底から吐き出されたようなその言葉に、徴矢は恐怖すらも忘れて瞠目した。
「ねえ、徴矢。ほら、徴矢の出した汁でべとべとだから、痛くないよ。……だから、入れてよ」
「ん、ぐっ……!? ひ、ひぁ゙あっ!」
 ぐっと指を押さえつけられて、瞬間無理矢理指が体内へと侵入する。関した事の無い逆流するものの感覚に悲鳴を上げたが、セオは構わず指を根元まで入れきった。
「ここも気持ちよくなるようにしてあげるから、ねえ、徴矢」
 言いながら、またそれを引く。異物としか思えないそれを締め付けてしまうが、恐怖に思考を乱した徴矢にはそれが失態だとは解らなかった。セオは徴矢の行動にまた微笑むと、その指をくねくねと中で動かし何かを探るように蠢かせる。まるで内臓を探られているようだ。
 悲鳴を上げそうになる徴矢を楽しそうに見て、セオは何故か眉値を顰めた。
「ねえ、徴矢。僕の、これより大きいんだよ。気持ち悪そうな顔しないで。……繋がったら、気持ちよさそうな顔してよ。ねえ、僕さ、大好きなんだ、徴矢のこと。だから、僕は繋がりたい。繋がって、徴矢を気持ちよくさせて、最高の快楽を食べたい。だから、僕に笑ってよ、徴矢。僕にだけ、笑ってよ……」
 笑顔のはずなのに、目は笑っていない。眉は歪んでいる。
 徴矢は青くなる顔でセオを見つめながら、今感じている不快さとは違う感情に眉根を寄せた。
 さっきのセオの掠れた言葉と今の言葉が繋がり、はっきりとした確信を生む。徴矢は震える喉を必死に開きながら、唾を呑み込んで痞えながらセオに言い放った。
「嫉妬……かよ……っ」
「…………え?」
 動きを止めたセオを青い顔で睨みつけながら、徴矢は肩で息をして震えを散らす。
「だから……嫉妬してんのかって……言ってんだよ……っ!」
 セオは徴矢の言葉に目を丸くして、ゆっくりと瞬きした。
「嫉妬……って…………僕が?」
 いつもの間の抜けたきょとんとした声に、思わず溜息が漏れる。恐怖も気持ち悪さも薄れるくらいの相手のヌケサクっぷりに、徴矢はようやく平静を取り戻して続けた。
「……お前の気持ちなんてよーは知らんが、とりあえず、訊く。お前は何で俺にこんな事をしたいんだ? はっきりいえ。さっきっから聞いてりゃ抽象的なことしかいってねーじゃねーか」
 まだ少し心臓は強く脈打っていたが、急に大人しくなったセオにはもう恐怖は感じない。
 相手は目をシーツへと向けてじっと考え込んでいたものの、やがて小首を傾げながら顔を上げた。
「何でこんなことをって…………えーと、あの眼鏡の子と徴矢が抱き合ってたから、何でそんなことしてるのって思って、それで何かムカムカしてきて……。それで、徴矢にさっき関係ないって言われたから、それで悲しくもなって、それで…………繋がっちゃいたいなあって」
「よーし、お前の頭が悪魔超人もビックリの思考スーパージャンプ脳ってことは解った。なんかもう殴りたい気分だが、とりあえず殴らないで話聞いてやるからこの魔法解け」
 今なら必殺の筋肉バスターすら出来そうだと思いながらも、セオに慈悲の心を持って言ってやると、相手も素直に応じて指を空にすいっと走らせた。急に腕と足が軽くなった感覚を覚える。動かしてみると、確かに自分の思い通りに動いた。起き上がっていまだ術の解けない自身を足ではさんで隠しながら、体育座りのような体勢でセオに向かい合う。
「で、お前はムカムカして、俺を好きにしたくなったんだな? 何をして欲しかったんだ」
「うーん…………さっきも言ったけど、よく解らない。ただ、徴矢が関係ないっていうから……」
 煮え切らない相手に、徴矢は苛々しながら言われるべき言葉を先に言ってやった。
「要する、お前は俺が他の奴と抱き合ったり顔寄せて笑い合ってたのが嫌だったんだな?」
 予測した言葉をセオは暫し噛締めていたが、数秒の後ようやく笑顔で頷いた。自分の気持ちが腑に落ちてスッキリしたらしい。そりゃめでたいことだが、こっちは逆に苛々が増した。
 こんな台詞、普通なら徴矢が言って貰うほうではないか。
 エロゲだって攻略対象の女の子にこんなことは言わせない。幾ら優柔不断引っ込みじあんの主人公であっても、こんなことははっきり自分から言うものだ。それが男というものだし、理想の主人公像とも言えた。なのにこの悪魔ときたらまるで甲斐性が無い。なさ過ぎる。
 こんな奴に黙って掘られようとしてたのかと思うと、また怒りが沸々と湧いてきた。
「あのな、いい加減にしろよ。何ではっきりそう言わない。俺は約束したはずだよな? お前を蔑ろにもしないし、エサも与えるって。だから俺の平穏な生活を壊すなよと。それは俺が嫌がる事をしないってことも約束のうちじゃないのか? 譲歩するにも話合いが必要なんだぞこのアンポンタンめが。第一壊してどうすんだ。それでお前は満足だったのか?」
 また古い悪態が口から転げ落ちたが、徴矢は構わずセオを睨み付けた。
 今度はセオも素直に反省したのか、頭を垂れて口を尖らせる。
「…………ごめん」
「ゴメンですんだら警察もエクソシストもいらねーよ」
 聖水かけんぞ、といらつきを隠さない声で言えば、セオは申し訳なさそうに目をこちらへ向ける。
「……よく解らなかったんだ、どうしていいか。……だって、こんな気持ち初めてで、人間を好きになったのも初めてで、でも僕はこうすることしかしらないから……」
 子供のように目を所在無げに動かしながら、口をへの字に曲げて肩を落とすセオ。
 だが何故かその言葉にも姿勢にも、怒りは湧かなかった。
「……お前、もしかして……嫉妬とか……したこと、なかったのか……?」
 少々驚きを含んだ声で問うと、相手は素直に頷く。
「だって、レヴィアタンのおばさんはいつも優しいし、何をしても絶対怒らないから象徴が嫉妬なのよーって言われてもよく解らなかったし、第一同じ悪魔同士で嫉妬しあうなんて下級にはあっても上級の僕らには考えられないし……」
 少々自慢も混ざっている気がしたが、悪魔の世界の事情がなんだか現実世界よりもほのぼのしているように思えて徴矢は呆れたように額に指を添えた。
 セオが、大人のくせに子供番組を楽しそうに見たり、卵焼きを異常にありがたがったり、自分本位で行動していた理由がようやくわかった気がする。
 悪魔の世界、少なくともセオの言う上級悪魔の世界では、皆子供か老人のような生活をして現実世界よりも平和に暮らしているのだろう。そうに違いない。そうじゃないとセオがここまでボケていることの説明が出来ないだろう。
 先程聞いた【レヴィアタン】というのは、聖書に出てくる七つの大罪の一つを刻まれた悪魔だ。その業は【嫉妬】で、性格は冷酷無情で大嘘つきだったはずだが、セオに優しいと言われる様じゃ今は嫉妬してもいないだろう。あるいは、嘘付きだからセオの前でだけ嫉妬など見せなかったかのどちらかだ。悪魔でさえのほほんとしている世界なら、嫉妬など起きようはずが無い。
 それに。
(……こいつ、初めて人間を好きになったって言ってたよな……)
 まさかとは思うが。
「……お前、他に人好きになったことあるんか?」
「父上も友達もみんな好きだよ。当たり前じゃないか! でも、徴矢はなんか違うなあ。父上がグレモリーを連れ込んだ時もふーんて感じだったし……」
 お前は今まで父親が一番好きだったのか。いわゆるファザコンか。悪魔のクセに。
 一瞬でツッコミが脳を駆け抜けたが、口がそれを掴む事はできなかった。ただぱくぱくと大人であるはずのセオを呆気に取られて見つめるだけだ。セオはそんな徴矢を見つめつつ、未だに解せない自分の心の違いに悩んでいた。……何か嫌な予感がする。
「あ、そっか」
 その一言に、異常なまでに肩がびくりと震える。
 だがセオは徴矢に構わず言い切った。
「僕、どうやら徴矢がホントの初恋みたいだね!」
 満面のとろけそうな笑みで、後に花を咲かせながら言う、美形悪魔(大人)。
「………………」
 徴矢は、自分の中の魂が一瞬空に逃げた感じがした。
「あれ、徴矢?」
 セオの呼びかけに魂が戻ってくる。同時、徴矢は無意識に叫び出していた。
「ああああああああああああもうおおおおおおおおおおおおおお!! お前が言っても全然萌えねえんだよおおおおおおおおおおおおおお」
 何が悲しゅうて、いい大人の男の、しかも悪魔の初恋の相手にならなければいけないのだろうか。
 こんなシチュエーションは、二次元の美少女が頬を染めて言うから貴重で萌えるのであって、決して美形でも成人過ぎた姿形をしている男に言われて萌えるものではない。その上よく解らないうちに初恋してましただなんていわれても、驚きと喜びよりムカつきと怒りしか覚えられない。
 髪を掻き乱す徴矢に、セオは己の気持ちが解ったのが嬉しいのか依然として笑顔で頭を傾げた。
「何だかそうと解ったら、お腹減っちゃった!」
「死ねよ、本当にお前死んでくれよー!!」
 悲痛な声でそう言うが、相手は全く気にもしていない。やはりこの男は悪魔だ、人の事などちっとも考えちゃいない。そう嘆いている間に、徴矢は再び組敷かれていた。
「ねえ徴矢、僕は君が好きなんだ」
「だから何だよ!!」
 これから繋がりたいなんていうんじゃねーだろーな、と吠える徴矢に、セオは笑って首を横に振った。
「……え?」
「……うん、だからね。僕は、徴矢の嫌なことはしないよ。……大好きだから、笑顔でいて欲しいから、ずっと一緒にいたいから……僕は、もう徴矢の嫌がることはしない」
 さっきは表情など失っていた冷たい顔が、暖かい笑みと真剣な目を取り戻している。
 殺されると思うくらいに怖かった声と言葉は、何故だか心を掻き乱ししかしどこか熱くさせるようなものに変わっていた。信用した事を後悔していたはずなのに、心はセオの表情を嘘だと思わない。
 漫画のように誰もが惚れそうな笑顔を浮かべたまま、セオはじっと徴矢を見つめていた。
「やっと解った。大好きなんだ。初めて嫉妬するくらい、無視される事が耐えられないくらい、僕は君が好きなんだ。……だから、僕はもう、徴矢を傷つけないようにする。絶対に、泣かせない。約束するよ、だから……ねえ、キスして……いいかな?」
 君を傷つけない。守りたい。泣かせない。
 大昔からの陳腐な口説き文句だ。昭和モノの漫画を気に入ったセオらしい。現代を超江戸時代なんてのたまい、嫉妬すらわからず、何百年生きて初めて恋をした悪魔に実によく似合う。
 そんな台詞で騙される女なんて、今時ゲームか漫画にしかいないのに。
 誰も、真剣にそんなことなんて言いはしないのに。
「徴矢……大好きだよ」
「…………」
 本当に、美形はずるい。
 自分達オタクと違って、何もかも、顔だけで良い方へ持って行く。
 結局自分達キモオタと呼ばれる人種は、イケメンに勝てるわけがないのだ。
「…………さっさと、喰えよ」
「徴矢……!」
 嬉しそうな声を出すセオから顔を背けながら、徴矢は必死で弁解した。
 顔が真っ赤になっていることにも気付かずに。
「だっ、だから、勿体無いだろうが!! それにお前が寸止めしてんだ、無駄打ちなんてまっぴらごめんだぞ、俺は! さっさと済ませろ!」
 拘束された時は本当に死ぬほど怖かったのに、今はそんな恐怖すら忘れて許してしまっているなんて、美形の特典か悪魔の魔法としか思えない。それ以外の理由なんて真っ平ごめんだ。
 セオの言葉にほだされた。
 ――――なんて、死んでも思いたくない。受け入れたくもない。
 自分は、ノーマルな男なのだから。
 喜々として股に割り入って来る子供のオツムの悪魔に肺を溜息で充満させながら、徴矢は己が段々おかしくなってきていることを自覚して、頭を抱えたのだった。








 暗く、滅多に人の通らない道を制服の男が歩いている。
 彼は髪を染め、良いように乱して幾つもピアスをつけていた。制服を正しく着ようなんて気もなく、だらだらと足に重石でもつけたような歩き方で夜道を歩く。手には常に携帯電話が握られており、周囲を気にすることもなく彼はただ黙々と仄かに光る小さな画面に気を取られていた。
「あーっ……たく、マジムカつく……やっぱも一回ボコんねぇとな」
 呟きながら、やがて街灯の照らす場所に足がつく。
 そこは、よく変質者が出ると噂がある場所だった。
「…………ん?」
 ふと携帯から目を離して前方を見ると、こちらを向いて揃えられている黒い靴が見えた。
 思わずその靴の主を見上げて、彼は瞠目した。
「なっ……!!? てっ、テメェ……っ!?」
 それ以上に、言葉が出てこない。
 怯えと驚きに満ちた顔に顔を染め、彼は携帯を手放す。
 黒い靴の主は、黄色く光る目をにやりと笑ませ――――――
 


 そうして、全てを闇で覆いつくした。











    

   





Back/Top/Next







後書的なもの
 こちらもようやく進んだ気がします。
 コメディーなんで重苦しい自覚なんてないんですが
 これはちょっと軽すぎる気がします。
 「好き」という言葉には色々意味があるとは思うんですが
 まあ、外人てよくライク連発するしね、うん
 とりあえず徴矢の苦労はこれから倍率ドンです
 ヤッフゥ!



2009/06/20...       

inserted by FC2 system