七回目








  

「で、まあありがちだとは思ったんだが……付いて来るんだな」
「この事が終るまでは、僕はあまり君から離れられないしね」
「でも、お前その格好でどうすんだよ」
 玄関前でこのような言葉を交わして、徴矢とセオは黙り込んだ。
 変なパートナー襲来、使命受諾、学校生活とくれば、あとはその変なパートナーが一緒に学校へついて来てしまうエピソードが絶対に有ると思ってはいたが、まさかこうもすんなり「付いて来る」だなんて言われるとは思わなかった。
 まあ、ありがちといえばありがちだが。
 徴矢は服装の乱れを確認しながら、靴を履いて相手の反応を待った。
 これも充分ありがちな事ではあるが、セオは悪魔であり人間からしてみれば異形だ。
 今は畳んでコンパクトになっているが黒い翼も生えているし、頭の上にはツノがある。一見人間に見えるが、こんなオプションがついてれば普通誰もが怖がるか、別の意味で恐怖を覚えるだろう。
 意外なことにセオもそれが理解できていたのか、顎に手をやりながら首を傾げた。
「うーん……やっぱ、このまま付いて行くってわけには……」
「警察に通報してもいいなら付いて来い」
 セオの願いをばっさり切り捨てて、徴矢は靴のつま先で地面を叩いた。
 時間が無いんだぞと暗に示す徴矢に、セオは暫し難しそうな顔をしていたが仕方が無いと言うように溜息をついて、ぴっと指を立てた。
「じゃあさ、古典的だけど……これじゃだめ?」
 言って、セオは一度羽織っていたマントで体を包み込むと目を閉じた。
 どこぞの演劇の芝居のような行動に一瞬眉が不快さにピクリと動いたが、徴矢が文句を言おうとする前に変化は訪れた。目の前の人物が、足から半透明になっていく。
 思わず目を丸くしてセオを見つめる徴矢に、相手は半透明のままへらっと笑った。
「これでどうかな? 一応徴矢以外の人間には全く見えなくなってるんだけど……」
「って言ったって、俺にはお前が半透明になったようにしか見えないんだが……」
 確かに古典的な手ではあるが、実際に見ると俄かには信じられないものがある。
 本当に姿が消せたのだろうかと訝しげな視線を向けながら、徴矢はある事に気づいた。
「あれ、今何時だ?」
 腕につけているデジタル時計を軽い気持ちで見て、髪の毛が驚きに逆上がる。
「どしたの?」
 きょとんとして時計を覗き込もうとするセオを押しやって、徴矢は慌ててドアを開けた。
「もう走らんと間に合わねぇーッ!!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってよ徴矢ーっ」
 矢も楯もたまらぬ速さで廊下を走りぬけいていく徴矢に、セオは慌てて翼を展開させて後を追ったのだった。





 徴矢の通っている大学は、少々変わっている。徴矢から言わせれば異様な学校だった。
 まず、基本的に大学生には制服が無い。しかしこの大学にはそれが存在する。小中高大との些か珍しいエスカレーター式学校なのでまあ理解できない事も無いが、高校から試験で入学してきた徴矢としては、まだこの学校のおかしさには慣れきれなかった。
 しかし、この分だとここは学校というより「学園」かもしれない。
 正しい名称でのという意味ではなく、一般的なイメージからの「学園」だ。
「ねえ、徴矢の学校って大学なんだよね。どうして制服があるの?」
 ご尤もな問いを後ろから投げてきたセオに、徴矢は応えようかどうか迷った。
 何故ならば、この人の多い往来で独り言を言う勇気が徴矢には無かったからである。
 セオが言ったとおり、彼の姿は誰にも見つからなかった。徴矢には未だにセオが半透明で見えているのだが、周囲にはセオの気配に気付く人すらいない。完璧な隠遁の術である。
 だからこそ答えたくないのだ。
 オタがブツブツ独り言、なんて洒落にもならない。
 無視しようとしたが、しかしセオは執拗に食い下がってくる。耳元で何度も問いかけられて、徴矢は耳を手でガードしながら仕方なく答えてやった。
 やっぱりセオをつれてきたのは失敗だ。
「はあ……俺にもよく解らん。学園だからじゃないか?」
 おざなりな返答をすると、相手は不満げに小首を傾げる。
「だって、漫画じゃみんな私服だったよ? ボローニャの大学だってみんな好きな服着てたし……」
 何故ボローニャとやらの大学を引き合いに出すのかは徴矢には解らなかったが、確かにセオの言うことは正しいと思う。徴矢だってここに入学するまでは、大学生が制服を着るなんて思っても見なかったのだから。
 しかし、だからといって自分がその答えを知っているわけではない。
 面倒だなと思いつつ、徴矢は眉を顰めた。とりあえず、適当に答えてみることにする。
「俺だって細かい事は解らん。……アレだ、ほら、漫画にだって小学校から制服ってのあっただろ。それの大学生版じゃねーの。きっちりしてて欲しいからとか」
「ああ、そっかあ! そうだねえ、制服だと格好いいしねえ」
 案外セオにとって道理にかなう回答だったのか、セオはしきりに頷いている。
 解らんでもないが、悪魔の道理とは一体どういうものなのだろうか。
「兎に角……俺は一芸入学しただけだから、何も知らん。知りたかったら自分で調べれ」
 それだけを言うと、徴矢はまた黙って歩き続けた。
 大体制服だの学園だのの前に、今それを疑問だと言っている存在のほうが異様なのだ。徴矢からしてみれば、理解できない意味不明な事象はセオの方なのである。こっちの方が色々問い返したいわと思いながら、徴矢は前方を見た。
 この学園は、やはり学園というだけあって広くて大きい。
 一山削って作られたというのも解るほどで、東京ドーム何個分と言えばいいかなんて考えてしまうほどの造りだった。言ってしまえば一つの小さな都市だ。
 流石に園内モノレールやバスは存在しないが、自転車に乗っている生徒も時々見かける。
 寮に住んでいない者は、遠くからそうしてやって来ているのだと言う。
 徴矢としては、そこまで大変な思いをして入る学校だとは思えなかったが、外様の自分には解らない情熱と苦労というのが彼らにはあるのだろう。
 まあ解りたくも無いが。
 そう思いつつ、視界に入ってきた西洋風の大仰な建物を見て徴矢は足を速めた。 
 隣で大きな黒い翼を時折はためかせながら、気持ち良さそうに空を飛ぶセオが並走する。非常識な光景だとは解っているのだが、なんだか羨ましい気もした。
 自分だってこんな異様な大学に通っているのだから、ある意味非常識ではあるのだろうが、まあそれは置いておく事にする。
 要するに、空を飛べる相手が羨ましいのだ。
(いいよなあ……俺らは地べた走ってるしかないもんな……)
 それに比べて、相手のなんと優雅な事か。
 他人からは空を見つめて睨んでいるようにしか見えない徴矢に、セオは無邪気ににこりと微笑んだ。ああそういう所がむかつく。
 やはり羨ましくなど無いと思いつつ、徴矢は前を見直した。
「あっ、すーみーっ! はよーっ」
 大分近付いてきた大学の門の前で、こちらに手を振る姿がある。
 目を眇めて相手を視認しようとするセオを他所に、徴矢は誰が自分を呼んだか解って手を振り返した。
「おーっす! 今日もお互いギリギリだなー」
 笑顔で相手に言葉をかける徴矢に、セオは少々機嫌の悪そうな声で言う。
「あの子だれ?」
「俺の親友、田ノ浦賢吾。言っとくが、賢吾に何かしたら本気で餌やらんからな」
 不穏な空気を醸しだすセオに釘を刺し、大人しくさせてから徴矢は賢吾に駆け寄った。
「スミ、はよー。なあ、課題終った?」
「だからそういう事は言うなと何度もな」
「だってー! 俺全然終ってないんだもーん!!」
 泣きながらうがうがと叫ぶ賢吾に苦笑しながら、徴矢は賢吾を連れて教室へと向かった。賢吾は相変わらずだ。しかし、それが一番安心できることだと実感する。昨夜から異世界を垣間見っぱなしの徴矢としては、この日常的な会話が何ともありがたかった。
 今ばかりは、後ろで不満げにしているセオも忘れて馬鹿話に花を咲かせる。
 そのまま最初の講義室へ向かい、後ろの席へカバンを下ろした所に賢吾が切り出した。
「なあなあ、スミっこれちょっと見てくれよ!」
 疑問符を浮かべる徴矢に、賢吾は喜々として腕をまくる。
 そこで出てきたものに、徴矢ならずセオまでもが目を剥いた。
「ちょっ……それっ……!!」
「なあっ、これ格好いいだろっ!?」
 賢吾の腕にしっかりと刻まれていたのは、なんと……
 
 厳つい、何かの刻印だった。
 
 慌ててセオを振り返ると、セオも驚きのあまりに固まっている。徴矢は恥を忍んで誰もいないはずの場所を殴ると、セオを正気に戻した。そうして目で問いかける。
 相手は軽く頷いて、賢吾の腕に近付きじっとその刻印を見やった。
 だが、数秒して首を横に振る。どうやらラルヴァのものではなかったらしい。
 ホッとしながら賢吾を見やると、相手は能天気に満面の笑顔を張り付かせながら徴矢の反応を待っていた。相手はこちらの事情などしらないと解ってはいるのだが、どうも気が抜ける。
「これは?」
 聞いてやると、賢吾はニッと歯を見せる。
「よっくぞ聞いてくれましたぁーっ! これは魔子ちゃんの紋章タトゥーさっ」
「魔子ちゃんの……? …………あっ、マジだ!」
 気が動転していてわからなかったが、これは確かに魔子ちゃんの魔法陣に描かれている紋章だ。
 自分に心の中で罵詈雑言を浴びせながら恥じる徴矢に、賢吾は無邪気に続ける。
「昨日さ、アニマニアで見つけて思わず買っちゃったんだ〜。なんか格好いいし、これで魔子ちゃんといつも一緒! みたいなさー! えへへへへへ」
「……この子、能天気だねえ」
 今だけはセオに同意しながら、徴矢は口を苦笑の形に歪めた。
「まあ気持ちは解るが……でもそれ、大丈夫なのか?」
「これシールだから大丈夫だよ。石鹸で洗い流したらすぐに落ちるしさ」
 教師に言われたらすぐに消すから大丈夫、と言いながら賢吾は袖を降ろしてタトゥーのある辺りを嬉しそうにさする。よほどタトゥーが嬉しいらしい。
「ねえ、彼はなんでアレにそんなに喜んでるの?」
 頭上に疑問符を浮かべて少々気味悪げに賢吾を見つめているセオに、徴矢は普通はそうだよなと改めて思った。自分はまだ賢吾と同じ人種だから引きも嫌いになりもしないが、セオのようにオタク属性が無い人間には自分達の所業はさぞかし奇怪に思えることだろう。
 悪魔にさえ気味悪がられるオタク。
 ちょっとその字面が面白くて、徴矢は賢吾から顔を背けて頬を膨らませた。
「ねえ徴矢、聞いてる?」
 そんな徴矢の顔を覗きながら、セオが顔を合わせてくる。しかし今は人が多すぎるし、目の前に賢吾もいて説明してやる勇気が無い。
 口に人差し指を立てて「静かにしてろ」と示すと、セオは半眼で面白く無さそうに口を歪めた。
「とにかく……ま、お前が嬉しいならいいんだが……」
「うんっ。あ、あとさー、他にもグッズ増えてたよ。マウスパッドとかアニマニア限定ファンディスクとか」
「何ッ!? 詳しく、詳しく教えろっ」
 限定のファンディスクなんて、どこにも情報が流れてなかった。思わず食いついた徴矢に、賢吾は偉そうに咳払いをしながら説明し始める。この際偉そうでも何でもいい。
 今大事なのはその情報と金額だ。
 一生懸命に賢吾の話を聴く徴矢は、そんな自分の後ろで不穏な空気を漂わせているセオに全く気付きもしなかった。





「ねえ徴矢、聞いていい?」
 講義が始まって数分して、何故かずっと押し黙っていたセオがようやく自分に問いかけた。
 視線だけを横にずらして「何だ?」と態度で訊くと、幾分かつまらなそうな声でセオが続ける。
「どうして君達は漫画やゲームのことになると、周りが見えなくなるんだい?」
 随分な問いに顔を顰めたが、今まで無視してきた手前今度もはぐらかすのは少し気が引けて、徴矢はノートに答えを書こうとした。が、セオは日本語がわかるだろうか。
 困って辺りを見回すと、隣の席の賢吾は寝ていた。周りには人も少ないし、これなら独り言を言っても平気だろう。講師の目を気にしながら、徴矢は頬を掻いた。
「んー……、何でだろうな……。そうだな、例えばお前には『楽しいこと』ってあるか?」
 逆に問いかけられて、セオは面食らった物の答えを返す。
「僕の楽しいことか……そうだねぇ、こうして徴矢にくっついてるのは楽しいよ」
 笑顔の相手に徴矢は当てが外れて口を歪める。
「そういうことじゃなくてだな……ほら、本読んだりとかそういうことだよ。何かあるだろ」
「ああ、なるほど。うーん……だったらトランプかなあ。メランコリーとか大好きだよ」
 神経衰弱が好きとは、なんだか微妙な趣味だ。
 そうは思うが、そこでツッコめばまた面倒な事になりそうなので徴矢は話を進めた。
「好きなことをしてると、他の事が見えなくなるだろ? 俺達にとって漫画を読んだりそれに関する話題をしたりする事は、お前が大好きなメランコリーをやってる時と一緒なんだ」
 理解できるか、と再び目をやると、セオは何だか満足げに頷いていた。理解してくれたようだ。
 しかし何故かまた不機嫌そうに眉を寄せて、今度は徴矢の眼前に乗り出してきた。
「でもさ、だからって人を無視するってのは無いんじゃないかな」
 半透明の悪魔が何を言うか、と徴矢も同じく眉を寄せる。
「仕事や趣味を邪魔されそうになれば、誰だって無視したくなるだろ。それに何もない場所に話しかけてると気が狂ったかと誤解される。……ほら、俺は今講義を受けてるんだ。解ったらちょっと黙ってろ」
 もう聴く耳持たんとセオをシャットアウトしにかかった徴矢に、セオは不機嫌だという表情を大いに浮かばせたが、徴矢はセオの表情を見ないことにした。
 他の学生に変人呼ばわりされるのはごめんだ。
 【オタク】という周囲にバレたら恐ろしい事になる爆弾も持っているのに、これ以上導火線を増やしたくない。しかしそんな徴矢の事情も知らないセオは、不機嫌そうな雰囲気のままでふいにどこかへ飛んで行ってしまった。
 こちらとしては煩くなくてありがたいが、変な事を起こさないだろうか。
 気にはしつつも付いて行く事が出来ず、徴矢はそのまま昼までセオを放っておくしかなかった。
 これが後になって後悔することになるとは、夢にも思わずに。






 
  
   





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後書的なもの
 
学園、については今は多くは書かないでおきます。
  決して作者が制服萌えだからではありません。(……)
  ところで登場時よりも性格が変わってるように見えるかもしれませんが
  それは私の力不足です☆
  もうね、自分、全身蚊に刺されればいいと思うよ!マジで!

2009/03/24...       

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