四回目








  

 そうして、徴矢は美味しく「快楽」を頂かれてしまったわけであるが……
「…………これは夢だ、コレは夢だ、消えろ、消えろー」
 徴矢は某アニメ映画の言葉をぶつぶつと言いながら、終った端から現実逃避を敢行していた。
「ねえー、戻ってきなよ君ー。何がショックだったの?」
 真っ裸でベッドに突っ伏している徴矢に、悪魔は問いかける。が、当然答えは返ってこない。
 どうしたものかと眉を顰めた悪魔だったが、今まで腰掛けていた位置をずらして顔を徴矢の頭へと近づけた。因みに、徴矢は枕に顔を埋めてうつ伏せ状態だ。全裸で。
「もしかしてあれだけじゃ物足りなかった?」
「アホかぁあッ! 落ち込んどんのじゃ俺は!! 何が悲しゅーて物足りないとか言わなきゃいかんのだドアホウ!」
「わあ、凄い言われよう」
 顔を上げて泣き腫らした顔で男を怒鳴りつけるが、相手はちっとも堪えてない。寧ろ構って貰えることが嬉しいとでもう言うように、にこにこしながら徴矢を見ていた。
 変態には何を言っても無駄なのだろうか。徴矢は全裸で大きな溜息を吐きながらとりあえず体を起こした。別に酷い事をされたわけでも無いので体には痛みも何も無いが、無意味に強い虚脱感と何かを失ったような虚無感が襲う。淀川に飛び込もうと思うのはこんな気持ちの時なのだろうか。
 とりあえず変態から身を守るためシーツを適当に股間に突っ込んで、徴矢は改めて男を睨んだ。
「で、お前は何でまだここにいるんだ」
「?」
 首を傾げる相手にイラつきを覚えたが、ここで爆発したらいかんと徴矢は大きく深呼吸して続けた。
「あのな、お前の言う『代償』とやらはもう払っただろう? だったら、さっさと帰ってくれないかな?」
 悪魔は代償を貰って初めて仕事を完了したと言えると何処かの本(エロ漫画ではない)に書いてあった。だとすれば、この男はもうここにいる理由が無いはずだ。
 しかし男はハの字に眉を寄せると、笑顔を崩さないまま指を振る。
「それがね、実は『間違って悪魔を召喚』してしまった時は、代償を貰っても帰れないんだよ」
「はぁ!? ちょ、わけわからん! 説明しろ!」
 食いついて身を乗り出す徴矢に、男は大きく頷いて説明し始めた。
「まず、悪魔の召喚っていうのは余程の決意や願いがないと行わないよね?」
「うん」
「だから普通は願いを叶えてから代償を貰うんだけど、これは互いに承知していた事だから、悪魔がどんな代償を貰っても、もう願いを施行すると契約された後だから問題ない。寧ろこれは正当な報酬なんだ。でも、この場合召喚者は代償を払うと同時に『不幸』を背負う事になるんだよ」
 聞いたことのない話だ。
 どういうことだと目で問うと、男はもっと詳しく話すねとベッドに深く腰掛けた。
「神は、人間が作られるときに『運命の配分』をする。言って見れば、『どの時期にどのくらいの幸せや不幸が訪れるか』っていうのを決めていくことなんだけど……ええとね、人間はみんな同等の幸不幸を持っていて、それがバラバラの時期に訪れるようにされているんだ。誰もが、同じ分の不幸と幸せを持っているんだよ。ただ、やってくる時期と分量が違うだけでね。……でも、人間の中にはその不幸の分量に耐えられない者もいる。だから、悪魔を召喚して願いを叶えてもらおうとするんだ。
 そうすると、幸せが増えるよね?
 でも、神は僕らが召喚される事を想定してないんだよ。勿論了承もしてない。だから、予定外の幸せが増えてしまうことになるんだ。
 神は人間を作って管理したりしてるけど、作ったものの意志までは動かせない。そうすると、誰かが他の人より幸せになってしまうことになるよね? だから、神はそれを修正しようとして、悪魔を召喚したものにペナルティを無条件で負わせる規定を作ったんだ。それは――『悪魔を召喚した物に、通常の二倍の不幸を』ってもので……」
 そこまで聞いて、徴矢はギョッとした。
「ちょ、ちょっと待て……それ、この話の流れで行くと……」
 嫌な予感がすると冷や汗を流す徴矢に、男は眉を申し訳なさそうに歪め……やはり、笑ったままの顔で確かに頷いた。
「そう、君に倍の不幸が与えられてしまうんだよね、これが」
「嘘だと言えええええ変態男おおおおおおお!!」
「残念ながら僕は変態男じゃないし、嘘でもないよ。僕は召喚者に嘘はつかない」
 真剣と書いてマジとでも言いそうなほどにしっかりとした目に、これが本当の事なのだという嫌な実感が湧いてきて涙が出そうになる。まだこの男が悪魔だったという事さえしっかりと受け止められないのに、訳が解らない酷すぎる規定を持ち出されてもう頭はパンクしそうだった。
 十九年間真面目にコツコツ普通の人間の振りをしてきて、ようやく人生がフリーダムだと思い始めた幸せな時にこの仕打ち。今その分けられた不幸とやらがやって来ているのだろうか。
 幸せは長く続かないとはまさにこの事だと痛感しながら、徴矢は崩れ落ちた。しかし男は話を止める気はないとでも言うように、また口を開く。人事だと思って嫌な悪魔である。
「うん、まあだからね、今から君には不幸のペナルティが」
「いやじゃあああああまさに不公平じゃねぇかあああああああ」
「うん、えーと……」
 けたたましい濁声でベッドに拳を撃ちつける徴矢に、流石に男は困って頬を掻く。
 どうせ付き合いきれないとでも思っているのだろうが、付き合いきれないのはこっちだ。男に射精させられてその上「不幸がやってきますヒャッホイ!」とかどんなギャグ漫画だ。こんな話だったら買う気も失せる。というかこんな漫画買う輩なんていないだろう。
 今まさに自分は世界一不幸な美少年(偽称)だと心の中で叫びながら、徴矢はシーツに顔を押し付けた。もうこうなったらエロ関係のものを抹消して死ぬしか無い。
「いや、あのね、だから神様も考えたんだよ」
「…………は? 何を?」
 いきなり話が見えなくなって、シーツから顔を離す。見上げた男はまだ困り顔で笑いながら、こちらを見下していた。
「うん。だから、救済法を」
「…………俺の?」
「うん。千年に一度の確率だけど、そういうのがあっても困るからって」
「…………マジで?」
「うーん。その言葉の意味が良く解らないけど、これも本当」
 にっこりと微笑む相手が一瞬菩薩に見えて思わず縋る。理不尽な事態から抜け出せるのなら、もう何に縋ってもいい。この話自体が嘘だということも有りそうだったが、もし本当の事だったら大変だ。それに今はありえない出来事に襲われっぱなしでショックを受けすぎている。信じる他精神が健全でいられる道はなかった。まあ、全部この男のせいだが、この際それは言わないことにしておく。
 黒衣を掴んで見上げる徴矢に歯を見せて笑いながら、悪魔はぽんと徴矢の肩を叩いた。
「本当に俺は二倍不幸にならなくてすむんだな?」
「そうだよ。ただし、ちょっとした事をしなきゃいけないけど」
「ちょっとしたこと?」
 もしや危ない事ではないだろうなと構えた徴矢に、悪魔は落ち着けと優しく肩を擦った。
「僕がいるから大丈夫だよ。怪我させるような事だけはしないから」
 なんだかよくある漫画の格好いい台詞のようだ。
 思わずドキッとしてしまった自分を心の中でボコボコにしながら、徴矢は平常心を保った。ホモホモしいのはいい加減勘弁して貰いたい。
「そ、それでその方法って?」
 どもりながら問う徴矢に、悪魔は相変わらず肩を擦ってきながら、簡単だよと答えた。
「僕の仕事を一つだけ、手伝ってくれればそれでいいんだ」
「…………仕事?」
 俄かにファンタジーっぽくなってきたなと思いながら、徴矢は眉を顰める。一般的に悪魔の仕事と言われているのは、人間を貶めたり人間を不幸にしたり人間を悪の道に突き落としたり人間の命を狩ったりすることだが……。
「も、もしや悪の道に手を貸せと……」
 ぼそりと大きく呟くと、悪魔は一息間を置いて大きく笑った。
「あははははっ! だからさ、君達人間が思ってる悪魔は、今は全然昔と違うんだってば!」
 そのあまりの大うけに、言った本人が不安になる。もっと酷い事をするのだろうか、それとも仕事とは言いつつ自分を地獄のそこへと突き落としたりするんじゃなかろうか。
 今は極悪犯罪なんて日常茶飯事だ。悪魔がそういう事をしても、全然おかしくない。
 少し青くなってきた徴矢に笑い声を漏らしながら、男は空涙を拭った。
「そりゃ昔は善悪の比率を平等にする為に仕事をしてたけど、今は僕らが手を貸さなくても勝手に悪の芽は育っていくだろう? 人を殺すのも、悪人になるのも、全部人間が自分でやってくれてるじゃないか。そんな世の中で僕らが人間の命を獲っていったり人間を唆したりしても、意味が無いと思わないかい? もう唆す必要なんてないくらい人間は自立してるのに」
「う、うーん……確かに……」
 確かに昔と比べると、世の中は物騒になった気がする。徴矢には遠い昔の歴史なんて体感したことがないから解らないが、少なくとも個人単位での狂気は増加しているはずだ。今や信じられる人間というものが何人いるかも解らない。昔からしてみれば、これは信じられないことに違いない。
 だからこそ、人間に悪い道を歩む者が増えているのだろう。原理は良く解らないが。
 しかし、では悪魔は何をするのだろう。
 首を傾げた徴矢に、悪魔は待っていましたと微笑んだ。 
「だから、僕らは本来の役目を失った。その代わりとして新しく役目を与えられたのさ。……人間を不当な悪……“ラルヴァ”から守るようにっていう役目をね」
「ラル……ヴァ?」
 ウに点々とはこれはまた格好いい名前だ。
 話の筋とは少し違う所に頭が言っている徴矢に気付かず、悪魔は続けた。
「ラルヴァというのは、生前悪だった奴の魂が昇華出来ずにいたり、不都合な死に方をして悔しくてこの世に止まっている魂の事を言うんだ。一般的に言うと人間に害を及ぼす悪霊って感じかな。で、コイツらがまた厄介でね……人に取り付いて、本来悪になる必要の無い人間を悪に引き摺ったりしちゃうんだ。しかも、気の弱い人間や悩みのある者ばっかり狙ってさ」
 困ったものだよね、と肩を落として溜息を吐く悪魔に、徴矢はぼんやりと悪魔が何をいいたいのか解って、その答えを言ってみた。
「もしかして、悪魔は今それを消す仕事をしてるのか?」
 俄かに信じられない仕事だがと思いながら相手を見やると、悪魔はご名答と言わんばかりに満足げに口を弧に歪ませ頷いた。
「人間はもう、僕らが唆さなくてもいいようになったけど、その代わりに自発的に芽吹いた悪の芽はとても強力でね。一回死んでも中々冥界に行ってくれないんだよ。そうじゃないと、新しく配分できないのに。だから僕らがラルヴァを殺……昇華させて、冥界へ送ってあげるんだ」
「おいまて、今殺すって言おうとしたろ、殺すって」
 正直今までの話は意味が解らないが、今言おうとした事ははっきり解る。絶対に殺すと言おうとした、間違いない。一瞬相手が悪魔だということを忘れかけていたのに、やはり性格の根底には悪が根を張っているらしい。とんでもない男だ。
 少しばかり警戒する徴矢に男は慌てて手を振りながら、兎に角と言って話を変えた。
「と、とにかくね、僕らは今その仕事に掛かりきりなんだ。通常は悪魔一人でやらなきゃ行けないんだけど、間違って召喚された時は特別に、召喚者のペナルティを抹消する為に召喚者がその仕事を手伝う事が決められたんだよ。まあ、この掟は昔からある物なんだけど」
「ってことは昔は悪の根駆逐じゃなくて、人の命を駆逐してたわけですか」
「それは各位勝手に想像して頂くとして」
 頂くとしてじゃねぇ。
 どことなく必死な悪魔に疑心暗鬼の心が生まれながらも、とりあえず話は最後まで聞こうと徴矢は口を堅く閉じた。徴矢の疑わしそうな目に気付いたのか、悪魔は人の良さそうな笑顔で汗を垂らしながら話を続ける。
「だから、君には今から僕の仕事を手伝って貰いたいんだ。一回だけの仕事で不幸は帳消し。危ない事は全部僕がやるよ。……実に簡単な規定だと思わないかい?」
 確かにそう言われれば簡単なように思えるが、相手は悪魔だ。簡単に信じて良いのだろうか。
 悪魔は隙を見せれば簡単に嘘をつき、召喚者に牙を向く。それは言わば飼いならされていない獣を飼っている状況と同じだ。危険極まりない。そんな状況にいるというのに、目の前の獣にそう簡単に気を許すのは早計だろう。
 どう返事をすべきかと目を伏せ迷う徴矢を見つめながら、男は返事を待っている。
 さっきから肩を擦られまくって気持ち悪いが、今はそんな事に怒っている場合ではない。相手が悪魔だと半分くらい信じてしまった今、この決断はとても重大なものだった。
 魔子ちゃんの漫画でも、悪魔とのやりとりはかなり緊迫していた。一歩間違えば魂を獲られるのだ。悪魔とはそういう存在なのである。ご利用は計画的にと言わざるをえないほど、一か八かな存在なのだ。果たして、この悪魔のいう事は本当なのだろうか。
 そうして黙り込む徴矢に、悪魔はまた微笑んだ。
「大丈夫。僕を信じて。……現に僕は本当に悪魔で、“快楽”を貰ったでしょ? 今まで僕が言ったこと、全部嘘だった?」
「う……それは……」
 確かに相手は悪魔だったし、変な魔法で体をおかしくさせられて、変態行為もされた。だがそれらは全て悪魔が本気で言っていたこと通りだったし、全く嘘など含まれていなかった。
 確かに悪魔は今まで嘘をついていない。
「早くしないと、神様が僕を強制送還しちゃうよ。そしたら君を救う術はなくなる」
「はぁ!? 強制送還!?」
 思わず顔を上げる徴矢に悪魔は真剣に頷く。これが嘘の表情だとしたら騙されても仕方が無いと思ってしまうほど、その表情は完璧だった。
「僕らは神のように、人間世界で常に必要とされる存在じゃない。だから長時間なんの理由もなしに人間世界にいると、僕達悪魔は勝手に強制送還されちゃうんだよ。さあどうする?」
「ええー……うー……うーん、うぅーん…………」
 こんな変態野郎など帰って貰ったほうが大助かりだと思う反面、もし悪魔が本当の事を言っていたらどうしようという気持ちが心を支配する。悪魔は嘘を言っていない。けれど、相手は悪魔だ。
 こんな時は一体どうしたら良いのだろうか。
(ちきしょお解んねぇよ! つかこんな状況解ってたまるか! くそ、だれかドッキリ大成功とかいう看板持って出てこねぇかな!?)
 あんまりに古い事を願ってみるが、当然そんな予兆などどこにも無い。相手は至って本気だし、そういう空気もびしびし伝わってくる。夢みたいな話だが、夢ではないのだ。
「僕は、その一回で帰れる。君は一回の仕事を我慢すればいいだけなんだ。さあ、早く!」
 凛とした声に一発耳を張られて、体が条件反射で驚く。
 無意識に開いた口からは、もう後戻り出来ない言葉が勝手に出ていた。
「ああもう畜生! 解った、解ったよ!! やりゃあいいんだろう!!?」
 頭の奥でもう後戻り出来ないと嘆く自分が居たが、もうそんなコトはどうでもいい。こんな非現実的な事象から早く逃れられるのならば、自分が無事でいられるのなら、何だって構わない。どうせ一回きりなのだ。だったら、もう何でも良いから災難は避けたかった。
 徴矢が望むのは、二次元に囲まれて幸せに暮らす日々だ。その幸せを二倍の不幸で掻き消されるより、一度の不幸で全てを元に戻したい。
 やけくそで男の言葉に答えた徴矢に、男は笑った。
「……よし。…………じゃあ、これから……よろしくね」
「…………」
 その笑顔はこの短時間で何度か見た、暗い含みのある怖い微笑。
 これは罠だったかもしれないと徴矢が思い始めるまで、そう時間はかからなかった。






 
 
   





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後書的なもの
 
ザ☆悪魔との交渉。
  特別な場合が無い限りこういう類のものと話すのはいいこととはいえませんね!
  それにしても徴矢はちょっとお馬鹿だと思います。

2008/07/11...       

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