No.10








 

「電気は点けんなよ。不法侵入ばれっからな」
 真っ暗な部屋の中、長坂はペンライトを取り出して部屋へと入った。
「真っ暗なんだけど」
「合図するまで玄関で待っていろ」
 言いながら、長坂は奥へと進んで行ってしまう。ドアの開く音は聞こえるが、もうペンライトの光は見えない。所在無げに啓一は佇んでいたが、やがて部屋の中で暖かそうな小さな光が灯ったのを見て目を丸くした。あれは卓上ランプの明かりだ。
 うっすらと周囲を光で浮かび上がらせるランプは、部屋の中心に鎮座している。
 その隣に中腰で経っていた長坂は、無言でこっちへ来いと手を動かした。
 一度周囲に目を慣らしてから、徴矢は合図に従ってゆっくりと部屋に上がる。実を言うと、暗すぎて何か証拠を踏んでしまわないかと不安で上がれなかったのだが、少量の明かりでもあれば大分違うものだ。
 しかしまだ充分な明るさとはいえないので、啓一はトラブルを起こさないようになるべく最小限の動きで部屋へと入った。これでまた何か壊せば長坂に馬鹿にされるし、誰かに不法侵入がばれてしまうかもしれない。用心するに越したことは無いだろう。
 忍び足のような動きで近付いてきた啓一に長坂は怪訝そうな顔をしたものの、黙って座れと地面を叩いて見せた。相手のぶっきらぼうな行動に些かムッとしたものの、口を噤んで啓一は座ってやる。
「とりあえず、SDカード覗いてみっぞ。お前携帯持って来てるか」
「うん」
 ズボンのポケットに入れておいた携帯を見せると、長坂は一頻り携帯を見てSDカードを挿入した。
 いやに操作が手馴れているが、同じ型のものを持っているのだろうか。
「お前の携帯ってオレと同じ機種なの?」
「うんにゃ。まあ、携帯なんて大体同じもんだ。お前も何百と色んな携帯使ってりゃわかんぜ」
 そんなに使うことなんてあるか。
 思わず心の中で突っ込んでから、啓一はふと考えた。
(もしかして……それって、仕事用とか取引用とかでとっかえひっかえって意味か……?)
 ありえないことでは無い。
 勝手に取引現場などを想像して神妙な顔になっている啓一に構わず、長坂はカードのデータフォルダを開き、項目を黙って確認していく。啓一も慌てて覗き込んでみたが、別段何が入っていると言うわけでも無く、ただ空のフォルダが並んでいるだけだった。動画や曲の一つも入っているかと思ったのだが、パソコン用フォルダにもそれらが入っている様子は無い。
 だったら何故こんなものを、と眉根を顰めていると、長坂はカードの容量を確認し出した。
 表示される容量のゲージを見て、不可解だと片眉を寄せる。 
「っかしいな。確かに容量は大分減ってるんだが……どこにそのデータがあるんだ?」
 普通、携帯用のSDカードには隠しフォルダなどは作れない。パソコン用のフォルダがあるのかもと長坂は呟くが、しかしパソコンに使うのならばこのまま残す事はしないだろう。
 孝太郎なら、きっとパソコンに挿入するための附属カードに入れて残しているはず。
 だとすれば、やはりデータは携帯用のものなのだ。
「データフォルダに入れられない、他のデータって……電話帳とかは?」
「ナシ。一応メモ帳だとかの類もチェックしてみたが、入ってる様子はねえ」
「じゃあ……メールとか……」
「は?」
 自分でも自身なさげに呟いた言葉に、長坂が大いに反応する。
 少し驚いたが、眉根を顰めてまるでメンチ切りでもしてるかのような相手の顔に緊張を解かれ、啓一は頬を掻きながら説明した。
「いや、やったことない? オレ大事なメールとか登録メールとかは、コピーしてSDに入れたりするんだけど……ほら、結構携帯って弱っちいじゃん。だから保険かけとこーって」
「…………普通は、そうなのか」
 知らなかった、と言わんばかりに目を丸くして呆ける長坂に、啓一も思わず目を丸くする。
 今時常識だろうに、この男はこんな事も知らなかったのか。
「いや、普通そうだろ!? オッサン、メール保存しねえの?」
「アシ付いたらヤベーだろうが! それに、基本全消し使い捨てだから保存した事なんてねぇよ」
「あー……」
 裏社会ならでわの常識の落とし穴といった所だろうか。
 確かに長坂の言う通り重要なメールを残していたら誰かに悪用されたりするだろうし、最悪警察に捕まりかねない。敵(いるのかどうか不明だが)の手に渡れば、それこそ最悪の事態になるだろう。
 普通の日常でなら当たり前の事だが、裏社会になると非常識になるのか。
(でもそれだったらメールじゃなくて電話でいいんじゃ……)
「とにかく、メールだな。どうすりゃいいんだ」
「メールんとこ開いてSD呼び出し……そう、それそれ」
 メールを保存すること以外はやはり詳しいのか、啓一の粗雑な説明でも長坂はすぐにフォルダを開くことが出来た。啓一が予想した通り、フォルダは“中に何か入っている”と示すように色が変わっていた。
 しかも一つでは無い。五つある内の三つのフォルダの色が変わっており、大量のメールが保存されているのが一目で解った。しかしフォルダを分けるほどメールを保存しているなんて、どれだけ大切なメールがあるのか。
「えらく沢山保存してんな……」
「仕事関係とかかもよ? なんか手がかりないかな」
「おう。……んじゃ、覚悟はいいな?」
「お、おう」
 二人でごくりと唾を呑み込んで、小さな画面に注目した。
 もしこのメールの中に犯人を示すものが入っていたとしたら、啓一達は一気に事件の核心に迫れる事になる。孝太郎が何故殺されたのかも、誰が殺したかの目星も付くかもしれないのだ。
 隠してあるという事は、絶対に何か大変な証拠が有る。
 長坂と啓一は顔を見合わせ頷き、“re:”で題名の埋まった一件目のメールを表示した。
 と。
「…………」
 その内容に、二人は絶句した。
 言葉を失った内容はというと――――
『けいくん(ハートマークの絵文字五個) だーい好きだよ(目がハートの顔絵文字三個) 仕事が一段落ついたらぜーったい(指たて絵文字)連絡するから待っててね!(キラキラ動く絵文字) 次のデートの場所も考えてるから、楽しみに待っててね(音符の動く絵文字なんかたくさん) おやすみ(ふわふわ舞ってるハートマークがげんなりするくらい)  孝太郎より(とどめのハートマーク)』
「………………こ……コタ……こんなメールして、やがったのか……」
「こ……孝太郎、さん……」
 文字で表現すると不快この上ないくらいの絵文字が散りばめられた、メール。
 これが重要だとでも言うのか。犯人を示すメールだとでも言うのだろうか。
 口の端を引きつらせて明らかに「引いた」とでも言いたげにじとりと視線を寄越す長坂に、啓一は恥しすぎて顔を真っ赤にし、ぎこちなくそっぽを向いた。
 確かに自分達はこういうメールをしていた。それは認める。逃れようの無い事実だ。
 だがしかし、誰がこのメールを第三者に見られる日が来ると思っていただろうか。少なくとも孝太郎はそう思っていなかったに違いない。啓一も同様に思っていた。大体恋人、しかも日陰の身の二人の恋を誰かに見せられるはずが無いのだ、だから別段二人とも気にせずにメールのやり取りをしていたのだ。
 だが。
 時間が経った今、冷静になって第三者に見られていることを考慮して言おう。
 これは、酷い。
 送られた本人からしても、このメールは恥しすぎた。
「う、こ、このフォルダ……っつーか三つ全部おめぇとのメールかよ!! 送信メールまで残す意味あんのかよアイツはぁあっ! ってことは、ってことは受信メールも……」
「うわああああ見るなあああ!!!」
 真っ赤な茹蛸から急に空のように青ざめて、啓一は必死の形相で長坂から携帯を奪い取った。
 孝太郎なら絶対に受信メールも取っている。
 打った本人が居る前でそれを開くなんて、打首に等しい酷すぎる行為だ。
「しっ、静かにしろよバカ! わーったわーった、受信メールはお前が調べろ。俺はパソコン調べっから、大人しくそこで座ってろ」
「いいい言われなくても……!」
 言うなり、パソコンの前に移動して起動を始める相手に、啓一は安堵のため息を付いた。もしこのままメールを見られていたら、多分自分は恥しすぎて部屋で暴れている。
 見られたくらいで暴れるメールなんて打たなきゃいいとも思うが、舞い上がっている時はそういう考えなど起こらないものだ。
 長坂の背中を一瞥し安全を確認してから、啓一は覚悟を決めて受信メールのフォルダを開いた。
(……うわ、やっぱり最初から最後まで全部保存してある……見られなくて良かった……)
 フォルダの番号が増えるたびに、どんどんメールは古くなっていく。
 一番最後のフォルダに入っていた一番下のメールは、アドレスを交換して初めてのメールだった。
 まだ絵文字も顔文字も何も付いていない、自分でも愛想が無いと思うくらいの文面。恋人になるなんて思いもしないで、ただ面白いからと孝太郎と始めたメールの一通目だ。
 左のキーを押すたびに日数を増やしていくそれに、啓一は知らずに唇を噛んでいた。
 自分ですら最初の頃のメールなんて保存していない。好きなものだけを保護して、後は何のためらいもなく消していた。それが普通だったからだ。
 なのに、孝太郎は自分から来たメールも、自分が送ったメールすらも全て大切に保存していた。
 まるで、啓一と通じた時間全てが愛おしくて、忘れ難いのだとでも言うように。
(孝太郎さん……)
 自分のメールを最後まで追って、送信フォルダに戻る。
 生きていた時の孝太郎が送ってくれた恥しいメールは、開くたびにその時の思いや状況が思い出されて、とても冷静に見ていられるものではなかった。多分、長坂に見られていたら孝太郎も憤死しただろう。
 思えば、孝太郎は最初から恥しいメールばかり送ってくれていた。
 それは絆が深まるたびにどんどん酷さを増して行って、まるで女子高生のような、とてもいい大人が打っているとは思えない文面になって行って。けれど、そうなっていく事で、孝太郎がどれだけ自分を好きで居てくれたかを確かに感じることが出来て。正直、とても嬉しかった。
 疲れた時でも、悲しい時でも、いつも変わらずに啓一を楽しませようと、絵文字を散りばめたメールを送ってくれていた孝太郎の笑顔がまた脳裏を掠める。
 泣いてなどいられないはずなのに、また泣き出してしまいそうでたまらなかった。
(こんなもん、大事に隠してさ……どんだけ大切だったんだよ……)
 冗談のように笑い飛ばしてしまいたかったが、それに照れ笑いを浮かべてくれる恋人はもういない。
 三つ目のフォルダを開き、一番目のメールを見てまた涙腺が緩んだ。
 孝太郎が一番初めに送ってくれた、ぎこちないメール。孝太郎の緊張した真っ赤な顔が浮かんでくるような、誤字が沢山ある気合の入った文章だ。
 この膨大な量のメールはこの一通から始まったのだな――と、啓一は唇を強く噛んで、眉根を寄せた。
「……おい、ガキ。……おい!」
 不意に隣から呼ばれて、啓一は咄嗟に顔を不機嫌なものに変えて振り返る。
 また落ち込んでいるところなんて、長坂に見せたくなかった。
(見られたら絶対なんか言われるだろうし)
「きーてんのかオイ。このパスワード解んねぇかっつってんだ」
「は? パスワード?」
「アイツの誕生日やらなんやら思いつくモンは全部いれてみたんだが開きゃしねえ。お前、アイツがパスワードにしそうな言葉知らねえか?」
 画面に近付いてみると、確かに操作はログインの所で止まっていた。
 何かあったかと考えてみるが、誕生日もダメだったのなら自分には解らない。
「孝太郎さん、こういうのは凄い簡単なパスにしてると思うんだけどな……メアドだって誕生日と名前と好きなものだし……そんな深く考えてないと思う」
「だよなあ…………ん、まてよ」
 さもありなん、と項垂れたように同意する長坂が、何かに気付いたのか拳を顎に添えた。
「お前、誕生日いつだ?」
「え? あー、三月の二十二日だけど」
 急に聞かれて素直に答えると、長坂はパスワードに啓一のイニシャルと誕生日を打ち出した。
「え゙!? いやいやいやぜってーないだろ!」
 幾らなんでもそれはちょっとありえなさ過ぎる。パスワードまで啓一のこと塗れにしていたら、誰かにばれてしまうかもしれないし、最悪遺族に見つかってしまうかもしれない。これでログインできたら孝太郎はちょっと警戒心が無さ過ぎだろう。
 だが相手はそうは思ってはいないようで、ぺろりと口を舐めて、鼻を擦った。
「いーや……」
 必死で否定する啓一を後目に、長坂はそのままエンターキーを押す。
 絶対にダメだ、と苦い顔をした啓一と無表情の長坂に、パソコンは暫し黙り込んでがりがりと何かを処理する音を響かせる。途端、ポーンと軽い音がして画面が切り替わった。
「ビンゴ」
「うっそぉー……孝太郎さぁん……」
 あまりにも知りたくなかった事実に啓一は頭を抱える。
 もし誰かがこのパスワードを知ってしまったら……と、孝太郎は考えなかったのだろうか。自分ひとりの部屋だし誰も訪ねてこないから、と思っていたのかもしれないが、死後家宅捜索をされた場合絶対におかしいと思われるだろう。というか、もう警察にはおかしいと思われているかもしれない。
 一人蹲って孝太郎のあまりの暢気さに悶えている啓一に、長坂は溜息をつく。
 そうして知ったこっちゃ無いといった様子で、データを一通り見始めた。
「やっぱ消されてるな」
「う…………け、消されてる?」
 ようやく恥しさの収まった啓一がディスプレイを覗き込むと、ちらりとこちらを見て長坂は頷いた。
「孝太郎のパソコンは、画像やダウンロード書籍、音楽……いってみりゃ趣味のモンしかねえ。仕事は持ち帰らない奴だったから当然だけどな。んで、文書フォルダもあるんだが、これ見てみろ」
 開かれた文書フォルダには、メモと書かれて日にちが振ってある文書が沢山並んでいた。その一つを表示して、長坂はファイルのタブを表示させた。
「ここの同一形式ファイルを開いた履歴に【日記】って書いてあるだろ?」
「あ、本当だ……これは……年と月の数字かな。どっかに日記のファイルがあるってこと?」
 質問に質問で返したが、長坂は怒らずに頷いた。だが、納得がいかないとばかりに顔を顰めて啓一を見やる。不可思議な色をした瞳が、啓一を映して緩く光った。
「はずなんだが、無いんだ。フォルダごと消えてんだよ」
「それって……」
 嫌な想像をしてしまい顔をゆがめるが、目の前の相手は真剣な顔を変えることはしない。
 目を剥く啓一から視線を離し、長坂は再びディスプレイを見る。
「警察はんなことしやしねえ。……誰かが、フォルダごと日記を消しやがったんだ」
「そんなっ……なんで!? 仕事関係のモンなんて何も無いはずだろ!」
「直接はかかれてねえが、間接的に今回の事件に通じる話が書いてあったのかも知れねえな。……つうワケで、コレの登場だ」
 言いながらジャケットの内側から取り出したのは、USBメモリ。
 何をするのかと目を瞬かせる啓一に、まあ見ていろと相手はメモリを挿して中にあったファイルを開いた。途端、スマイルマークが画面いっぱいに現れてにっこりと笑う。驚く啓一を他所にスマイルマークは口を開けて口内に凄まじい数の文字を流しだした。なにやら英数字や漢字も見える。
 その中に「日記」という単語を幾つか見つけて、啓一は身を乗り出した。
「これ、どういうソフトなんだ?」
「復元ソフト。消えちまったモンを文字通り消す前の状態に戻してくれる奴だ。……まあネットにもゴロゴロ転がってるが、念には念を入れて特別製をやってみた。まあ、正解だったみたいだな」
「ゴロゴロ転がってるのと何か違うのか?」
 特別製というなら、やはりそこらへんで入手できるソフトとは一味違うのだろう。
 素直に首を傾げる啓一に、言うと思ったと言わんばかりににやりと笑って長坂は答える。
「普通の復元ソフトじゃ普通に消えたファイルしか復元できねえんだよ。俺が持ってきたのは、その『普通に消えてないファイル』も復元できるって奴でな。まあ……最悪の事態を考えて持ってきたんだが……まさかドンピシャだったとはな」
 最悪の事態。
 解るような気がしたが解りたくなくて黙っていると、気を利かせたのかそうではないのか、長坂が啓一の思っている事を言い当てて肯定するように、はっきりと言った。
「これはやっぱり、俺らみてえな裏社会の人間の仕業だ」
「…………!」
 刹那、大仰なファンファーレの音がしてスマイルマークがべろを出した。作業が終了したのか、べろには復元されたらしいファイルの名前がずらずらと書いてある。どうでもいいが、嫌な仕様だ。
 啓一が不快だと眉を顰めていると、そのままスマイルマークはぱっと消えた。
 デスクトップには二三個のフォルダが残されている。
 フォルダには、やはり【日記】と名前が付けられていた。
 一番新しい年の番号が降ってあるフォルダを開いて、長坂は適当な目星をつけてファイルを何個か同時に開く。一斉にデスクトップを埋め尽くした文書に、啓一は目を細めた。
「二三行でまとまってるな。…………殆どおめーのことだ」
「…………」
 やはりここでも、孝太郎は浮かれて恥しい事を書いていた。それほど嬉しかったのかと思う反面、自分がどれだけ孝太郎の生活を変えてしまったのかと考えると何か胸が締め付けられる思いがする。
 だが今の啓一にはその胸が痛む理由を考える事も出来ず、ただ画面上に表示される文字列を眺めているしかなかった。
「……ん? おい、ちょっとコレ見てみろ」
「なんだよ。これ? 『彼に頼られるのは、申し訳ないと同時に少し苦しい。技師になりたての僕が見分けられるかは解らないが、これで彼が救われるなら、僕は精一杯答えようと思う』……? 誰かに何かを頼まれてたのかな……なんか孝太郎さんらしくない文章だけど……」
「それにこっちみろ」
 指さす長坂の示した文章にも、おかしなことが書かれていた。
「……『僕は彼に対して、はっきりと言うべきだろうか。自分が処罰されるのは怖くない。だが、彼と啓一がどうなるかと考えると、臆病になる自分がいる。どうすればいいんだろう』…………何だよこれ……孝太郎さん、この日滅茶苦茶ハイテンションなメールしてきたぞ?!」
「悩んでる所見せたくなかったんだろ。アイツは好きな奴の前では頑張っちまうバカだったからな」
「そんな……」
 こんなに悩んでいる事があったなんて知らなかった。何も知らずに自分は孝太郎と何気ないメールをして、バカみたいに相手の苦労も知らずに楽しい事を考えていたのか。自分は今までずっと孝太郎の悩みに気付かずに、へらへら笑って孝太郎がデートに誘ってくれる日を待っていたと言うのか。
 その間にも、孝太郎はこんなに悩んでいたと言うのに。
 バカは孝太郎では無い。啓一だ。
「孝太郎、さん……」
 日記は“彼”という人物から何かを頼まれた日から、悩み苦しんでいる文面が多くなっていた。だが、その中でも孝太郎はまだ啓一の事を心配し、労わってくれていた。
 家族のことよりも先に啓一を思い、自分が死んでしまったらとすら考えて、無理に日記を終わらせて。
 見ているこちらが苦しくなるほど、孝太郎の日記は辛い文字で満ちていた。
「…………最後の日記だ」
 これ以上苦しくなりたくないと目を逸らしたが、長坂は啓一の肩を強引に引き寄せて、黙って啓一の頭を画面の前に固定した。見るまで離さないとでも言うように。
 啓一はもう孝太郎の苦しそうな文章を見たくなかったが、見なければ一生離してくれないだろうことが何となく解って、啓一はゆっくりと画面に視線を合わせた。
 孝太郎が殺されてしまう二日前の日付が目に入る。
 頭を掴んでいた手が離れて肩を抱くように回るのにも気づかず、啓一は無意識に文を目で追っていた。
 
 
『---月---日
 啓一はこんな僕を、一生懸命好きで居てくれる。愛しい。愛しくて、たまらない。
 ずっと一緒に居て、啓一の笑顔をずっと守って生きたい。ずっと、一緒にいたい。
 ・・・心配だ。もし僕が消えてしまったら、啓一はどうなるんだろう。
 誰が啓一を守れるんだろう?
 でも、僕は決めたからには終わらせなければならない。
 きっと大丈夫。彼もきっと救われる。
 全てが清算されたら、啓一と二人で風車を見に行こう。
 海が見える草原に立つ風車を、二人っきりで見に行くんだ。
 ぼーっとして、啓一と笑って、大きな風車を二人で見上げて、海からの風を浴びて。
 それで、プレゼントをしよう。喜んでくれるといいんだけどな。
 啓一は何が好きか今度訊いておこう。
 これからもずっと啓一と幸せに暮らせるんだから、多少高くても覚悟しておかなきゃね
 ああ休日が来るのが楽しみだ。
 この幸せが、次の年もずっと続けばいいな。』
 
 
 
 ――――言葉が、出なかった。
「…………孝太郎は、本当にお前のことを愛してたんだな」
 長坂の言葉にさえ、涙が勝手に出てくる。涙は枯れ果てたとばかり思っていたのに、孝太郎が書いた最後の文章だという事実が突きつけられるたびに、溢れ出てどうしようもなくなる。
 震えてわななく喉が辛くて引き締めようとするのに、力が入らない。ただ嗚咽が漏れて、情けない泣き声が口から零れる。必死に声を出すまいとして歯を食い縛っているのに、震える体と共に吐き出される声は抑えようがなかった。泣いてる暇なんて無いのに、泣いたって始まらないのに、止められない。
 痛いほど爪を突き刺し丸め込んだ拳が震える。
 同じように震える肩に、手がそっと触れた。
「…………」
 背中に熱が覆いかぶさる。頭を抱きこむようにして長坂が啓一を抱き締めた。
「いつまでも泣いてんじゃねえぞ」
 突き放すような言葉だが、声は安心させるような低さで、どこか優しい。
 啓一は己を覆う優しい体温に身を委ねて、ただ治まるまで泣く事しか出来なかった。
「……消しちまった方がいいな」
 啓一に聞こえないように長坂は呟き、表示していたファイルを閉じた。
 が、最後の日記の書かれているファイルに違和感を覚えて、その手を止める。どうもスクロールバーが長い気がする。最後の日記の下は何も書いていないのに、微妙な空白があるのだ。
 啓一を抱きかかえたまま、長坂は文章を選択反転してみた。
 すると。
「…………おい、ガキ……コレ見ろ」
「……え……?」
 やっと落ち着いてた啓一がゆっくりと示された場所を見ると、そこには【携帯】と表示されていた。
 反転した事で白色で打たれていた文字が出てきたのだ。
「おい、お前何か気付いた事ないか?!」
「そ、んな……こと、いったって…………」
 孝太郎の携帯は警察が持って行ってしまって、自分には解らない。啓一の携帯にも孝太郎に関する手がかりは無かったはずだ。カードにだって、それらしい証拠は無かったはず。
 そこまで考えて、啓一は瞠目した。
「どうした?」
 長坂の問いに答える事も出来ず、啓一は慌てて腕の中から飛び出して携帯を開いた。
 もう一度メールを開いて、あるフォルダを確認する。
 確認したフォルダは、やはり他のフォルダとは違っていた。
「どうしたってんだよ」
「さ、最初は気付かなかったけど……あった、あったんだ……やっぱり、このカードに、孝太郎さんのヒントがあったんだよ!!」
 勝手に興奮する啓一に、相手は片眉を上げて訳が解らないと肩を竦める。
 説明するのももどかしくて、啓一は泣き顔のままで一生懸命に携帯を操作して長坂に突き出した。
「この、送信フォルダ……!」
「がどうしたってんだよ」
「このフォルダだけ、ソートが逆になってるんだよ!!」
「…………は?」
 どういうことだと更に眉根を顰める相手に、啓一は苛立ちに肩を揺らしてメールを開いた。
「このフォルダだけが、古いフォルダが一番最初に来るように設定されてたんだよ! 他のフォルダは新しい奴が一番最初に来るようになってたのに、これだけ別の設定になってたんだ!」
 ようやく啓一の言いたい事が解ったのか神妙な顔つきになった長坂を見て、啓一は息を整えながら携帯を一旦自分の元へ引き寄せた。そうして、一番最後にあるメールを見た。
 日付は、日記が書かれた当日。
 あて先は無く、ただ“re:”という文字がタイトルに並べられている本文のないメール。
 だが、開いた瞬間、啓一は孝太郎が残したかった言葉を見つけて固まった。
「おい。何が書いてあるってんだよ」
 いつのまにか隣に来ていた長坂が、強引に啓一の体を傾けて画面を覗き込む。
 そうして、長坂は大いに眉を顰めた。
「…………なんだ? こりゃあ……」
 本文も宛先も無い、ただ題名に大量の同じ単語が羅列されたメール。
 おかしなそのメールの、単語の羅列された題名の最後。
 そこには、文章でもなければ、誰かに当てた単語でもない、不可思議な数字が記されていた。
 
 
 
 
 『0000 3』
 
 
 
 
「…………コタ……お前、何に巻き込まれてたんだ……?」
 口惜しそうな長坂の声に、啓一はただ項垂れることしか出来なかった。















  
   





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後書的なもの
  啓一は泣きすぎかなと思うんですが
  高校生でこんな形で恋人を失ったら泣くかもなとも思います
  てか大体初七日もすぎてないっつーに……
  今回同じ単語が頻出してしまい、ちょっと反省
  カタカナ用語って、使うと際限なく使う羽目になっちゃって
  ちょっと難しいですね……

  

2010/06/15...       

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