No.09








 

 長坂も何度か孝太郎の家に訪れていたようで、家への道程は知っているようだった。
 次第に中心街から離れ住宅街に向かう車の先を黙って見ていると、啓一はふと孝太郎とデートした時の事を思い出す。そういえば、一度だけ帰りが遅くなったことがあった。
 孝太郎が珍しく連休だというので、孝太郎がお気に入りだという風力発電の風車が並ぶ場所や古めかしい灯台などを巡る巨大物鑑賞ツアーに連れて行って貰ったのだが、当然色々な所を巡っていたものだから時間もとんでもないことになり、親に携帯で平謝りしながら孝太郎の家に泊まったのである。
 孝太郎の実家は司部にはなく、こちらの大学病院に赴任した彼はマンションを借りていた。
 長坂が啓一を連れ込んだマンションほど広くはなかったが、そう自分の部屋とも変わらない普通の部屋で親近感を覚えた記憶がある。本棚に入っている本や壁のポスターが殆ど巨大建造物のものだったのは流石に引いてしまったが。……ある意味アイドルのポスターより酷いかもしれない。アニメのキャラクターポスターよりかは解る気はするが。
 思えば孝太郎も少し変わった人だったなと思っていると、長坂がふいに話し掛けて来た。
「アイツの家族は家のモン整理したって言ってたか?」
「え……いや、多分やってないと思う。昨日の今日だし、みんなショックで動けてないみたいだった。……多分、二三日は部屋に入れないと思う」
 自分よりもショックだっただろう孝太郎の家族は、皆魂が抜けたように項垂れていた。特に母親と妹などは泣き叫び、通夜の静かな場面にも孝太郎の名を呼び半狂乱になっていた。父親と弟達も口には出さないが、大分やつれていた感じだ。死んだ事を受け入れられなかった啓一よりも、彼らは酷い絶望感に襲われたのだろう。孝太郎から聞いた限りでも近年稀に見る幸せそうな家族だったから、突然の大きな不幸に耐え切れなかったのだ。本当に非常な世の中だと思い、啓一は目を伏せた。
「なるほどな。……お前合鍵持ってっか?」
「持ってないよ、行く用事もなかったし……ってかさ、今行って怪しまれない?」
 もしかしたら警察も自殺ではないと思っているかもしれない。自殺であっても軽い家宅捜索くらいするだろう。そんな時に鉢合わせしてしまったらどうするのか。
 だが長坂は気だるげに前方を見つつ、片手でぼりぼりと髪をかき回した。
「平気だろ。通夜も終わって火葬も済んでんだ。やってるなら火葬前だろうよ。熱心な刑事さんでもいない限り、まだここにいるっつー可能性は無い」
 昼来てもいい場所に夜に出向く刑事なんていると思うか、と聞かれて啓一は数秒頭を捻ったが、納得しきれないような声を出しながら頷いた。万が一という可能性もあるのではないだろうか。
 しかし啓一よりもそういう事に詳しそうな長坂はちっとも心配などせず、気楽にハンドルを切った。
 自分の父親とは違い乱暴な手つきだが、その実全然酔うような運転ではない。
 安全運転をしているはずの自分の父親の車は二時間も乗れば必然のように酔うというのに、どういう違いなのだろうか。やはり車が違うせいか。
 そんな関係の無い事を考えていると、車は見慣れた駐車場に入った。
 ここは孝太郎の住んでいたマンションの駐車場だ。九時を回った時間では、もう殆どの車は帰ってきている。その中に忘れるはずもない車を見つけて啓一はアッと声を上げた。
「孝太郎さんの車だ……」
「探ってみるか」
 適当に車を止めて、青いバンに近寄る。孝太郎もこの車を大事にしていたのか、持ち主がいなくなっても車は綺麗に己の体に周囲の光を浮かびあがらせていた。
 中を見るが、何も変わっていない。ドアを開けようとしてみたがやはり鍵はかかっていた。
 どうするのかと長坂を見ると、相手はにやりと笑って啓一と車の間に割り込む。
「今からちっとイケねーことするけど、見るなよ」
 言いながら、長坂は懐から何かを取り出す。あまり見たくもないが、もしかしてそれはどんな鍵でも開けてしまうという、いけないアイテムじゃなかろうか。
 驚く啓一を他所に、長坂はなにやらガチャガチャと音を立てた。
「おま……それ、ピッキ……」
「よーっしゃ開いたー!」
 ガチャ、と音がして内部のドアスイッチが上がる。
 啓一の突っ込みを躱して長坂は体を屈めて車の中を調べ始めた。仕方なく啓一も助手席に回りこんでそちら側から何か無いか調べる。ダッシュボードに附属しているグローブ・ボックスを調べてみたが、別段持ち出されている物も増えている物もなかった。しょっちゅう車に乗って、少し退屈した時にボックスやドアポケットの中を探っていたから間違いない。
 ドアポケットにも地図やドライブマガジンくらいしかささっていなかった。
 長坂は既に後部座席の部分やトランクを探しているが、何か見つかった様子はない。
 手がかりなしか、と少々落胆していると、ボックスから見慣れたCDが滑り落ちる。慌ててキャッチしてみると、それは見慣れた最たるものだった。
「どうした」
 泡を食った啓一に気付いたのか、長坂が顔を上げる。
 平静を取り戻して啓一はジャケットを見せてやった。
「これが落ちてきそうになったんだ」
 意外なことに長坂も見覚えがあったのか、目を丸くして指をさしてきた。
「ああ! それ、いっつもアイツがかけてた眠くなる曲か」
「……お前ってぜってークラシックとか聞けねぇ男だな」
 呆れて、啓一は説明してやる。
「これは、オペラのCDなんだよ。オ・ペ・ラ! オッサンが言ってんのは、多分『ヴィリアの歌』だろ? 孝太郎さんが凄い好きだった曲を眠たいとか言うなハゲ」
「禿げてねーよ!!」
 どこかのふくよかな女芸人のように滑舌良く突っ込みながら、長坂はがっと牙を剥いた。余裕の相手を少々小ばかに出来た事に満足感を感じながら、啓一は皮肉たっぷりに説明してやった。
「あんた教養が足りねーなー。ホント、キョーヨー無しってやだねーやだやだ。ゴホン。……いいか、これはな、すっげー有名なオペラの名曲集なんだぜ! えーと、あれだ、そう。【メリー・ウィドウ】って奴だ!」
「あン? メリーウィダー?」
 明らかに解っていなさそうな奇妙な単語を漏らす長坂に、啓一は軽蔑の目を向けて心底ウザイと思いながら話を続けた。何にせよ孝太郎の趣味を理解していないのは腹が立つ。
「誰がゼリーの話なんてしたっつの。あのな、メリー・ウィドウってのはスゲー有名で人気のあるオペラなの。孝太郎さんはこれが大好きだったんだよ。その中でも特に好きだったのが【ヴィリアの歌】ってワケ。ほんっっとお前って孝太郎さんに及ばないよな」
「口になんか突っ込まれてーのかお前は」
 イラついたようにひくひくと頬を引き攣らせる長坂に、啓一は勝利の笑みを浮かべる。だが相手もそれでは引き下がれなかったようで、反撃を用意していた。
「で、お前はその眠たい英語の曲の意味解ってんの?」
 さぞかし高尚な意味なんだろうな、教えろよ。と言わんばかりに片眉を上げて試すような目をしている長坂に、啓一はぎくりと体を強張らせた。
 ……実は、さっぱりわからない。
(って、ていうか、オレ英語……2だったし…………)
 一般から少し劣る自分の英語力では、こんなオペラの曲を聞き取ろうとしても難しい。
 例え英語が5だったとしても、流暢でナチュラルなオペラを確実に理解できるにはまだまだだろう。テキストイングリッシュは本当の英語ではないらしいから、尚更だ。
 ということは、自分はこの男にまた敗北しなければいけないのか。
 長坂と表情を交換したように顔を引き攣らせた啓一に、相手は交換した勝ち誇ったような表情でふんと鼻を鳴らした。ああ、すごくムカつく。
「わっからねーでなぁにが『教養がねー』だ。へへー、人のこといえるかよォ」
「ぐ……ぐぐぐ……」
 確かに自分はこの曲を聞き取れないが、だからといって同列の人間に馬鹿にされたくはない。
 しかし言い返す事も出来ずぎりぎりと歯をかみ締めていると、長坂は車から這い出した。
「さって、脳味噌スポンジは置いといて本題行くか」
「スポンジ言うな!!」
 別に自分の脳味噌はスポンジで出来ているわけじゃない。しかしそんなことをいうとまた馬鹿にされるのは目に見えていたので、啓一は長坂の背中を睨みつけながらも黙って付いて行った。
 孝太郎の部屋は一階の角だ。あまり日は当たらないらしいが、安いしあまり部屋に帰らないからそれくらいでいいのだと言っていた覚えがある。セキュリティもあまりしっかりしていないマンションだからか、すんなりと中に入ることが出来た。今時これでいいのだろうか。
 いつ不審者と呼ばれるかビクビクして周囲を見回しながら歩いていると、呆れ顔の長坂が啓一に目をやった。
「あのな、ビクビクしてっと逆に怪しいんだっつーの」
 もっと胸を張れ、と背中を強く叩かれて咽る。
 元はと言えばお前が犯罪まがいの事をしていたからだろうがと思いつつ、啓一は大きな溜息を吐いていつのまにか持ってきてしまっていたCDをみやった。一応これも窃盗罪になるのだろうか。そうは思ったが、だからといってそれを質問する愚かさも湧かず、啓一はジャケットを見つめた。
 ラメグリーンの背景に、煌びやかな装飾を付けられた文字だけが浮かんでいる。
 ふとすればリミックス系の今時の曲のCDのようだったが、ド派手なジャケットは何故かそのオペラに似合っているように思えた。
 最初に孝太郎のお気に入りの曲を聞かされたときも、彼は嬉しそうに感想をせがんでいたものだ。内容は解らなかったが、孝太郎が好きなだけあってとても優しい曲だった。けれど幾分かの切なさを含んでいて、何故だかこの曲を聞いた後は孝太郎に少なからず甘えていた気がする。
 もしかして、あの歌は恋人達の歌だったのだろうか。
 角部屋に辿り着いて、また鍵を不法な方法で開けようとする長坂に構わずに啓一はケースを開けた。シンプルに文字だけが印刷されたディスクに、説明書。一度読んだことがあるが、全て英文で解らなかったから、未だにこのオペラがどんなものなのか知らない。もっと勉強をしておけばよかったかな、と己に苦笑しながら、啓一は説明書を抜き取って開いてみた。
 が、違和感に眉を顰める。
「……あれ?」
「どーした、デカでもいやがったか」
 鍵の開く音をさせながら振り返る犯罪者に、啓一は眉を顰めて説明書のある部分を開いた。
 いや、啓一が開いたのではない。
 そこに何か挟まっていて、自然に開いてしまったのだ。
 覗きこんだ長坂は目を少し驚いたように見開いた。
「……SDカード?」
 手のひらにすっぽりと収まるほどの小さな黒いカードが、そこに挟まれている。
 ページの題名は、『ヴィリアの歌』だった。
「…………これ……」
 長坂の顔を見上げると、相手も真剣な顔になり軽く頷く。
「……アイツは、こういうモンはぜってー綺麗に直しておく方だ。……何か、意味がある」
 抓んで目先で確認してみるが、形状からしてパソコンには小さすぎるようだ。附属のパソコン用カードもついていないことから、どうやらこれは携帯に使えという意味らしい。何の意味があるのかとそれを睨む啓一を見ながら、長坂は最小限の音に抑えながら扉を開けた。
「兎に角、調べるのは中に入ってからだ。……いくぞ」
「……うん」
 もしかしたら、これが孝太郎の死と何か繋がっているかもしれない。
 彼の大好きだった歌に抱かれて眠っていたカードを握り締めながら、啓一は中に入り静かにドアを閉めた。













   





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後書的なもの
  幾らなんでもメリーウィダーはなかろう。
  そうは思ったが書いちゃったので(゚ε゚)キニシナイ!!
  車は本気で運転する人によって酔うか酔わないか
  別れますよね……。
  

2009/06/30...       

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