No.04








 

「そういえばさ、あんた名前は?」
 機械の動く音だけが響くエレベーターで、啓一はふと男に聞いてみた。
 まだ信用はしていないが、名前くらい知っておかないと色々不便だ。
 隣でかったるそうに目的地へ着くのを待っていた男は、階数のランプが移り変わっていくのを眺めてからぼそりと呟いた。
「長坂総悟だ」
「……ふうん」
 意外と普通の名前で拍子抜けしたが、そんなもんかと啓一は頷いて姿勢を元に戻した。
 ボディガードだとか何とかだと、異様に仰々しい名前が付いている人が多いと思っていたのだが、漫画や映画の見すぎだっただろうか。変な事に気を取られている啓一を見て、男――長坂は何かを考えるように目で天井を見やってまたランプへと視線を戻す。
 勿論ソレに気付いていない啓一は、ただただどこへ付くのかとドアの向こうを見ていた。
 やがて、高い電子音がして扉が開く。階数は十四階だ。
 外に出てすぐ隣の階段から周りを確認して見ると、確かに中心街から近い場所だということがわかった。こんなに町に近くて高い場所から町を見下ろしたことなど無い。啓一はなんだか嬉しくなって外廊下から暫し下界を眺めていたが、少し離れた場所から鍵の開く音がして啓一は振り返った。
「こっちだ」
 早く入れと急かされて、ドアを潜る。中は流石外車が止まっているマンションなだけあってか、どこもかしこも高級だった。友達の住んでいるマンションは安っぽそうな壁や床なのに、ここは壁なんかしっかりしてそうで床も光っているように見える。高いマンションだからそう見えるのだろうか。
 とりあえず上がらせてもらい、キョロキョロと周りを確かめながら啓一は正面のドアを開けた。
 やはり中は広く、ダイニングキッチンなんて洒落た作りになっている。啓一の家の台所は変な模様のビニール床と薄汚れた狭い台所なのだが、えらい違いだ。隣のドアを開けると廊下になっており、三つもドアがあった。マンションは狭い物と思っていたがそれはそれなりの値段のもの限定だったらしい。自分だけの部屋が沢山ある事に少し羨ましさを感じながら、啓一は長坂が入ってくるのを待った。
「ここ、住んでんの?」
「そう見えたらお前が貧乏だってことだ」
 ムッとして部屋を見回すと、確かにそう言われればこの部屋はとても質素だった。
 ソファテレビ机が有るのはまだいいとして、その他は本当に何も無い。カーテンすらつけておらず、よく見たらキッチンも満足な調理器具は揃っていなかった。小さな冷蔵庫が在るだけでありがたいと言う感じだろうか。
「じゃあココ何。ウィークリーマンション?」
 随分高価なウィークリーマンションだな、と半眼で言えば、長坂は鼻を鳴らして外人のようにオーバーアクションで呆れを表した。随分とむかつく態度だ。
「んな高価な賃貸あったら是非借りたいね。ここは俺のアジトその1だ」
「うわっ、アジトとかさぶっ」
 今時隠れ家だのアジトだの、刑事ドラマでしか聞いたことが無い。
 仕返しのようにこちらもオーバーアクションで己の体を抱きしめると、長坂はひくりと顔半分を動かしてにこやかに笑った。いや、笑っているが顔は怒っている。どうやら仕返しは成功したらしい。
 今度は啓一がニヤニヤと笑いながら長坂を見ていると、相手はそのままの顔で続けた。
「おこちゃまは黙ってろ。……とにかく、当分はここに居て貰うぞ。そう長くはねーだろうが、一応二日以上はいなきゃならんと思っとけ。食べもんや服は後で俺が持ってきてやる」
「……わかった。……明日から二連休だからいいけどさ、それ以上の時はどうすんの?」
「携帯持ってんだろ、親に電話かけとけ。お前の親は外泊しただけで怒るような教育ママなのか?」
 親の事を馬鹿にされた気がして、眉が寄る。
 しかしここで負けてはならないと啓一は冷静に振舞い背を向けた。
「別に。わからずやでもないけど、言いなりでもないってカンジ。話せば解ってくれると思うけど……友達の家にいるつっても厳しいとは思う」
「俺がその友達とやらの兄貴役でもしてやっから説き伏せろ。ヘタするとお前の大事なママとパパまで危険になるぞ」
「そんなっ……!」
 バカな事を言うな、と慌てて振り返るが、長坂の顔は至って真剣だった。
 言葉を失う啓一に、長坂は続ける。
「こんな時に胸糞悪りぃ冗談言ってる暇があると思うか?」
「…………」
 オリーブグリーンの瞳が、じっとこちらを見つめて来る。
 言葉は軽いが、長坂の言っている事は冗談ではないのだ。
「とにかく、何が何でも取り繕え。俺はお前以外の面倒まで見る力はねーぞ」
「……わかった」
 信じたくは無いが、やはり今自分はどこかの映画のような事態に陥っているらしい。
 突然恋人が死んで、突然襲われて、突然この男が助けに来て、突然身を隠すことになった。
 ハリウッド映画の典型的ワンシーンを地で行っているが、当然ながら啓一は特別な力も誰かから預かっている暗号も持ってなどいない。一応、一般的な高校生だ。日々を退屈だと思う時もあったが、それにしたってこのハプニングはやりすぎだ。神様とやらがいるのなら殴りに行きたい。
 やり場の無い怒りと不安を心の中で掻き回しながら、啓一は口をへの字に曲げた。
「ま、とりあえずここにいりゃ安心だから心配すんな。言い忘れてたが、あっちの部屋は寝室と俺の部屋。真向かいが風呂な。俺の部屋には入っても良いが、中のモンはあんまし触んなよ」
「何か大切なモンでもあんの?」
「見りゃわかる」
 入って良いのかと訊くと、長坂は軽く頷いて廊下へ続く扉を開け自ら自分の部屋へと案内する。突き当たり一番奥の部屋には鍵が付いており、別の部屋とは違うようだった。入っても良いとは言われたが、多分この様子だと許可された時以外は入れないだろう。
 長坂が鍵を開けて顎で「中を見ろ」と示したので、啓一は部屋には入らずに中を見せてもらうことにした。入って良いとは言われたが、鍵までかけるのならあまり見せたくない部屋なのだろう。これから二日くらいは一緒に居なければならないのだから、少しくらい遠慮もしなければならない。
 薄暗い部屋に目を凝らすと、真っ先に地面と天井を這うコードが浮かび上がって来た。それから奥のほうにパソコンと長椅子、よく解らないが無線のような機器と、昔のコンピューターのようなどでかい機械なんかが所狭しと部屋に鎮座していた。まるで映画で見たハッカーの部屋のようだ。
 思わず顔を輝かせてキョロキョロと中を見ていると、長坂は後ろで得意げな顔をした。
「そんじょそこらのボロとは出来がちげーぞ。マニアなメカニックに作って貰った特注だ。その気になりゃ、ハッキングだって半自動で出来ちまう」
「マジで!? うっわー……マジ映画みてー……」
 メカニック、ハッキング、どちらも物語でしか聞いたことのない単語だ。
 本当にそういう人間や世界があるのかと思わず口角を上げると、長坂は口の片端を吊る。
「ま、ココのはイザって時の切り捨て用だけどな。暇なら動かして見てもいいが……」
「えっ、いいの!?」
 満面の笑みで振り向いた啓一に、長坂は意地の悪い笑みを浮かべ、口を開いた。
「起動させた瞬間にお前にはわけわかんねー数字の羅列が出てくるぞ。動かせりゃ動かしてみな」
「…………お前なんて大嫌いだ」
 起動させた途端に意味不明な数字の羅列とは何だろうか。
 パソコンは、起動させたら窓のマークが出くるのではないのだろうか。
 確かに啓一には数字の意味が解らなかったが、今時のパソコンはみんな窓やりんごのマークで始まるし、それほどパソコンを動かさない啓一にはそれが全てだ。数字なんて見たこともない。
 誰もがマニアだと思うなよ、と笑顔を一気にくしゃりと歪めて啓一は口を曲げた。
「気は済んだな。……あとは、こっちが寝室だ。ベッドはひとつしかねーからここはお前の好きに使って良い。ただし俺は洗濯しねーからお前がしろよ」
 言いながら今度は隣の部屋を空ける長坂を睨みつけながらも、啓一は寝室に入ってみた。
 こちらはベッドとランプが置いてあるメタルラック、作り付けのクローゼットくらいしか見当たらない。そのせいか広く見えるが、実際はベッドが大きくてそう広いとは思えなかった。
「あれ一番でっかい奴だよな。なんで?」
「キングサイズとか言えねーのか最近のガキゃ……。……まあ、そりゃお前キングサイズつったら大体理由は決まってんだろ」
「……? いや、全然わかんねーし」
 近寄ってマットの柔らかさを確かめてみるが、別にウォーターベッドでもなんでもない。少しスプリングがきき過ぎの気もするが、大きさ以外は普通のベッドだった。
 どうも相手の言っている事が解らず首を傾げていると、いつのまにか長坂は啓一の背後へと回っていた。
「……まあ、普通は普通のベッドで事足りるけどな。俺は寝てる途中で蹴り落とされるのが嫌なだけだ」
 その言葉に、ようやくぴんと来た。
「ああ、そっか、女連れ込む用か……! ってそれだけでキングとか……」
 どんだけ寝相の悪い女と付き合ってるんだ、と顔を顰めると、長坂も訝しげに顔を顰める。
「……あのさ、お前俺の話聞いてた?」
「なにが?」
 注意も今後の事も聞き漏らした覚えは無いが、何か自分は忘れているだろうか。
 ベッドに腰を下ろして長坂と同じ顔で首を傾げていると、相手はそれは大きな溜息をついて、片手で顔を覆った。
「あああー…………っ! ったく、俺ァなんでこんなアホを禁欲してまで守らなきゃなんなくなったんだ? 本っ当最悪だ…………」
 長坂がこのことに乗り気ではないと解ってはいたものの、それでも啓一の目の前ではっきりと面倒だと言いやがった長坂に腹の中が煮える。
 自分だって望んで狙われたわけでも守られているわけでもないのに、勝手に出てきて勝手に連れて来て言う事がコレとは酷すぎだ。思わずムキになって牙を剥く。
「なんだよっ、オレだって守ってくれなんて頼んだ覚えねーよ!」
「ああーウゼぇー! マジでウゼえ! オレだってな、コタの頼みじゃなけりゃお前が死んだって犯されたって構やしねえんだよ!」
「おっさんのクセにマジとか使うなバーカ! キモイんだよオッサン!」
 啓一のその言葉に、長坂の顔が強張る。
 余程おっさんという単語が引っかかったのだろうか、今までに無いくらいに顔に影を作り、薄っすらと額に青筋が浮かんでいた。本能的に危険を感じて、啓一は顔を崩す。やはり若作りしてそうなおっさんに本当の事を言うのはいけなかっただろうか。
 心の中ではまだ反省すらしていない啓一に長坂は近付くと、そのまま肩をぐっと掴んだ。
「痛っ」
「あ、の、な…………俺はまだ…………二十六じゃあああ!」
「ぎゃっ!?」
 痛みを伴うほどに強くベッドに押し付けられて奇声が口から零れる。
 しかし長坂は啓一などお構いなしにそのままベッドの頭まで啓一を引き摺ると、怒りとも嘲りと持つか無い顔で啓一に圧し掛かって来た。無意識に危険を感じ取るが、相手の迫力に気圧されて啓一は動く事もできない。何をするのかと訝しげに顔を顰めていると、長坂は口角を吊り上げた。
「教えてやるよ。なんでキングじゃなきゃいけねーのかをよ」
「……だ、断固拒否する……」
 どこぞの運動員のような言葉が口から漏れるが、その言葉に抑止の力は無い。
 早くも怯えを含んだ声になど相手が止められるはずもなく、長坂は無慈悲に啓一が合わせていたシャツを乱暴に開いた。まだ不快感の残るそこがまた外気に晒されて啓一は震える。
「俺はテメェのせいで禁欲強いられてんだよ、それに依頼料すらねぇんだ、これくらいやらせろってんだ。あとな、拒否なんてバカが使う言葉じゃねえ。ガキは大人しく喰われてろよ」
「なっ……! …………って……く、喰う……?」
 長坂の不穏な空気を纏う言葉に、思わず思考が止まる。
 だが考える間も与えず相手は啓一の肌をまさぐりながら畳み掛けた。
「だから言ってんだろうが、お前ホント頭悪ぃな。頭スポンジケーキで出来てんだろ」
「出来てるワケねーだろ! ってか止めろ、触るな!!」
 乱暴な行為と違ってまるで腫れ物でも触るような手つきに、肌がぞわぞわと不思議な感覚を伝え始める。しかし啓一には長坂のその行為もあの男達と同じ事をしているとしか思えず、必死に長坂をどけようと腕で突っぱね足を激しく動かした。
 しかし長坂の体は動こうとすらしない。
 無駄な抵抗、とでも言いたげに狐のように笑った長坂は片眉を上げた。
「もう一回だけ言ってやるよ」
 大サービスな、と笑いつつ、長坂は啓一の耳元に顔を寄せる。
 すぐ隣にあるダークブラウンの髪から男らしく良い香りが漂ってきて、なんだか相手に無性に頭突きをかましたくなった。ある程度顔の良いすかした男は、何故かそういう部分まですかしている。もてた経験も無く、かといって女子に人気がないわけでもないと自負している啓一には、そういう天然のイケメン男は何となく嫌いだった。
 啓一だって努力しているのに、この無意識の行動でも感じる敗北感は何だろうか。
 関係無い事に気を取られた啓一に気づくこともなく、長坂は耳元に唇を近づけてふっと息を吹きかけた。思わぬ刺激に体がビクリと反応する。相手はそれを喉の奥で笑い、低い声で息を吹きかけるように思い切り近い所で啓一に囁いた。
「俺はな、バイなんだよ。……しかも、最近は専ら男ばっかり掘ってるバリタチだ。このベッドだってな、お前以外の奴らが寝てたんだよ。セックスもした、だからキングサイズ。解るか?」
「ば……ばり、たちって……」
 長坂の言った単語だけがふわふわと頭を彷徨い、見えない壁に当たっては舞い戻ってくる。
 相手が言ったことを理解しているはずなのに、どうしても頭は呑み込んでくれなかった。
「俺はセックスが好きだ。つかマジ犯らねぇと逆に気分がのらねぇ。なのにこの先二日以上、突然禁欲宣言だ。冗談じゃねえ」
 こっちのほうが冗談じゃない。
 口に出したいが、その言葉は出てこない。
 長坂はそんな啓一の状態を知っているのか知らないのか、やけにゾクゾクする声で、告げた。
「だから、お前が……俺を満足させろや」
「……………………は、い?」










   





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後書的なもの
  マンション、個人的には住みたくないんですが(ていうか高くて住めない)
  最近はすんげーセキュリティーとか部屋とか装備されてるらしいですね。羨ましい。
  長坂と啓一のバカなやり取りが結構好きだったりします。

  


2009/06/04...       

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