No.03








 

 男が乗れと指示した車は、バンではなく黒のツーリングワゴンだった。
 かの車にはトラウマが芽生え始めていたので、もし男の車がバンならば逃げようと思っていたのだが、その心配は杞憂に終ったようだ。素直に助手席に乗り込むと、男は乱暴にシートベルトをつけながら車を発進させた。
 倉庫がどんどん遠ざかっていく。
(……ってかここ、司部埠頭の倉庫だったんだ)
 司部(つかさべ)とは、啓一の住んでいる市の名前だ。あの火葬場も同じ市内だが、埠頭までの移動となるとかなりの距離である。自分はそんなに寝かされていたのだろうか。
 カーオーディオの時計を見ると、もう夕方の時間帯だった。
(うわ……オレ、そんなに寝てたんだ……)
 火葬場に居たのは昼前だったのに、それから随分と時間が経っている。よくそれまで変な事をされなかった物だなと神に感謝していると、男がポツリと話し始めた。
「で、一応訊くが、お前が孝太郎の恋人だった白木啓一だな」
 他人からダイレクトな関係を言われて面食らい、啓一は何も言えずに頷いた。
 二人で恋人だ恋人だと言い合ってはいたが、所詮は隠さなければならない関係だ。だから他人には黙っていたのだが、他人から恋人だといわれるとかなり変な感じがする。
 居た堪れなくなって窓に視線を逃がすと、男はそうかと続けた。
「あいつの死因、自殺だってな」
 何でもないように吐き出された男の言葉に、胸が痛みに苛まれる。
 そう、何故啓一がこれほどショックを受け、火葬場まで未練がましく付いて行ったのかというと、実は孝太郎の死因が自殺だったからなのである。
 彼の家族に聞いたところ、孝太郎は仕事場で首を吊って死んでいたらしい。
 相当苦しかったのか、周囲には器具の破片や私物が散乱しており、首には引っかき傷も付いていたのだという。多分、首吊りにしては長時間苦しんだが故の荒れようだろう。
 しかし孝太郎の家族は自殺の原因など全く思い当たらず、そんなはずが無いと言っていた。
 職場の関係者も自殺の素振りや理由など全くなかったと証言しているのだと言う。
 だが、啓一には一つだけ彼の自殺に心当たりがあった。
 ――――それは、啓一自身である。
 もしかしたら、やりたいことも満足に出来やしない自分に愛想が尽きていたのかもしれない。それか良心の呵責でずっと孝太郎は苦しんでいたのかもしれない。どちらにせよ、真っ直ぐな性格の孝太郎ならありえる自殺の理由だ。
 誰も知らないのは、孝太郎と啓一自身がこの関係を隠していたから。
 自殺の理由がわからないのは当然だった。
(……だったら、別れてくれても良かったのに)
 自殺するほど自分が重荷だったのなら、あっさり捨ててくれた方がまだ良かった。
 命と色恋なんて量りで比べるまでも無い。命の方が大事だ。
 例え捨てられても、孝太郎が生きて元気ならそちらのほうがずっとよかった。捨てられたら捨てられたでそうは思えないかもしれないが、けれどまだ心は軽かったはずだ。
 なのに、どうして。
 考える度に心が重くなっていき、啓一は背を丸めた。
 男は暫し前方を見て黙っていたが、信号が赤になり止ったのを切欠にまた口を開く。
「大学病院内で首吊り自殺。新聞にも大きく出てたぜ」
「……あっそ……」
 敬語を使う気遣いすら起こらず、素っ気無い返事を返す。
 男は啓一の態度に片眉を上げて怒りを示したようだったが、再び車を発進させ前を向いた。
「ちげーぞ」
「……は?」
 何が違うんだ、と顔を挙げ相手を睨む。
 今一度確認した男の容姿に、啓一は言葉をなくした。男は今風にカットした髪を揺らし、ただ真剣に前を見ている。その顔は野生的な格好良さで、芸能人と言っても通用しそうなほどだ。
 思わず言葉を飲み込む啓一を男は一瞥し、もう一度、告げた。

「あいつ、自殺じゃねえぞ」

 また何事も無いように、さらりと流される言葉。
 啓一はまるで挨拶のように軽く放たれたその言葉に、目を見開いた。
「自殺じゃ……ない……!?」
 散漫になっていた思考が一気に一つにまとまり、男の言葉に衝撃を受ける。だが男は至って平然としてハンドルを動かしていた。
「なんで……何で断定できんの!?」
 座席から身を乗り出さんばかりに聞いてくる啓一に、男はそのままの姿勢で続ける。
「あいつぁ昔っからの俺の親友でな、お前の相談にも良く乗ってたんだ」
「……もしかして、あんたもゲイ?」
 訊きづらい事をズバリと訊く啓一に、男は横顔をニヤリと笑ませた。
「まあな。……兎に角、俺はさんざノロケを聞かされた。アイツが死ぬ一昨日前だってそら酷いもんだったぜ。聞きたいか?」
 ニヤニヤとした男に目を向けられて、啓一は顔を朱に染めると思い切り頭を横に振った。
 そりゃ残念とおどけた様に言う男に少々腹が熱くなりながらも、啓一は半眼で口を曲げる。
「で、それがなんで断定に繋がるんだ?」
「あせんなよ坊ちゃん。ま、それでな、当日の話だ」
 当日がなんの日を指しているのかはっきりとわかり、朱に染まっていたはずの顔が白くなる。
 男は笑うのを止めてまた前を見やると、事の次第を語った。
「アイツから電話がかかってきてな……その日は残業っつってたから電話なんて来ねぇと思ってたのに、仕事時間中にコッチに電話してきやがったんだ。だから、俺も残業が早く終ったのかと思って出てみたんだがよ。……どうも、違ったみてぇでな」
「……?」
 疑問に眉を顰める啓一をまたちらりと見て、男は少しだけ顔を曇らせた。
「…………最初、息遣いだけが聞こえてきた。そんで、次は何かが壊れる音。呼びかける暇もなく次に聞こえてきたのは電話の近くに誰かが倒れる音だった」
「…………」
「何が起こってんのか解んなくてよ、ボーゼンとしてたら、やっとアイツの声が聞こえてきたんだ」
「……孝太郎、さんの……?」
 まさか、それこそが孝太郎の最期の言葉なのか。
 瞠目し男を見つめる啓一に、相手はその最期の言葉を、告げた。
「……『僕の啓一を、守って』……。掠れてすげえ聞き取りにくい声で、アイツは一言だけそういった。……そして、電話は切れちまった」
 目を見開いたまま、顔が情けなく歪む。
「翌日、俺がアイツに再会したのは新聞の顔写真だ。……それが、紛れもねぇアイツの最期の言葉だよ。白木啓一」
「…………」
 言葉が、でなかった。
「新聞やニュースじゃ首吊ってる所が云々っつってたけどな。違うぞ。……俺が聴いた音は、間違いなく息遣いがして何かが壊れてから、誰かが倒れる音だ。もし途中でロープが切れて倒れたんだとしても、何で死のうとしてる最中に電話なんかかけてくんだよ。おかしいと思わねーか」
 何もいえなくて、ただ相手を見ることしか出来ない。
 だが男は構わずに喋り続けた。
「遺言なら手紙かメール書きゃ良いし、電話すんなら死ぬ前にかけるはずだ。例えアイツが自殺しなきゃなんねー事になったとしても、アイツはそういう所はキチンとする男だったよ。こんなドタバタなんてやるはずがねえ」
 確かにそうだ。孝太郎は几帳面で礼儀正しく、ルールがあれば何事もそれに従うほうだった。
 家族思いだったし、もし本当に何かの理由で自殺したのなら、家族に遺言を残しても良いはずである。自分には残せなくても、きっと孝太郎なら家族を思いやったはずだ。
 心の中で何か不可思議な小さな炎が灯った気がして、啓一は乾いた喉で唾を飲み込む。そうして、緊張し掠れた声で、やっと男に問いかけた。
「じゃ……じゃ、あ……孝太郎さんは…………殺されたのか?」
 口に出したこともないような言葉に、冷や汗が出る。
 男はハンドルを切り住宅街へ向かいながら静かに頷いた。
「俺はそう思ってる。……第一アイツが今自殺なんてするかよ。俺のこの愛車を賭けてもいいぜ」
 大事にしてそうなこの車の事を賭けに持ち出すのだから、相当自信があるのだろう。
 何故だか男の言葉が妙に頼もしくて、啓一は無意識に緩く笑っていた。
「でも、何でアイツが殺されたのか、んで、お前。アイツはなんでお前を守ってくれと俺に依頼したのか。それが解らん。お前なんか心当たりねえか」
「心当たりって…………別に、オレ仕事のこともあんま知らされてなかったから……それ以外で殺される理由なんて思い当たらない。……ゲイが殺される理由なら、心当たりになるけど」
 悲しい事だが、それだけの理由で殺されることもあるだろう。
 真剣にそう思った啓一に、男はいきなり大きな声で笑い出した。
「っははははは!! ゲイだから殺されたか! そりゃいいな、お前バカ丸出しだ!」
「なっ…………ば、バカってなんだよ! おかしかねーだろ!?」
「いやいやいやねーよ! マジでねーよ! っぶははは」
 こっちは真剣に考えて言ったことなのに、この男は何故こんなにも笑うのだろうか。世間一般からしてみれば自分達はまだマイノリティ、異常性癖者と言われても仕方の無い見方をされているのだ。犬や猫が大嫌いで殺す人間もいるように、それだけで殺したいと思う人間がいてもおかしくはない。今のこの時代、何が理由で殺されてもおかしくはないのだ。それを笑うとはそちらこそバカだ。
 心の中で相手を一生懸命バーカバーカと罵倒しながら、啓一は熱くなる顔を歪めて堪えた。
「アイツが構うのもわかる気がするな、こりゃ。バカな子ほど可愛いってか」
「っ〜〜〜〜! お前もう黙れ!!」
 第一印象から思うが、この男は大分お調子者で口も態度も悪いらしい。
 こんな奴がどうして孝太郎と親友だったのだろうかと疑いたくなるほど、啓一の中でこの男は最低ランクに格付けされていた。孝太郎とはまさに雲泥の差だ。
 女にもてない男とはまさにこういう奴の事を言うに違いない。
 啓一は自分が女に対してやってきた優しさとこの男の失礼っぷりを比べて憤慨した。
 顔は格好良いだろうが、こんな奴に負けるなんて気がしない。この際顔は置いておいて、こんなに失礼な奴と自分を勝負させるならば、自分の方がもてるだろう。いや、もてるはずだ。
 絶対にこいつとは仲良くなりたくない。
 自分を馬鹿にする男に我慢できなくて、啓一は眉を吊り上げて男を睨みつける。
 だが相手は啓一の怒りなどどこ吹く風で、涼しい顔をしてまたハンドルを回した。
 車に押し付けられ、どこへ向かっているのかと前を見る。するとそこには地下駐車場への入口があり、今まさにそこへ入ろうとしている所だった。
「ここ、どこ?」
「中心街の近くだ。その気になりゃあ地下鉄使ってすぐ帰れるぜ」
 その言葉に安心して、啓一は車が止まるのを待った。
 地下駐車場は広く、高級そうな車が何台か止まっている。一度は憧れる外車なんかも適当に止められていた。思わず目で追っていると、車は向きを変え後退し始めた。運転席側の窓から、上へ続くエレベーターが見える。どこかのマンションなのだろうか。
 目を瞬かせて周囲を観察していると、男はエンジンを止めた。
「行くぞ」
「どこに?」
 三文字の言葉に三文字で返すと、相手は少々気分を害したようで顔を歪める。
「上に決まってんだろ。車で寝泊りしてーのかお前は」
「え? い、いや、ちょい待ってよ。寝泊りってどういうこと?」
 このまま返してくれるのではないのかと不安げに目で訴えると、男は面倒臭そうに頭を掻く。
「こっちだってガキのお守りなんざしたかねーが、仕方ねえんだよ。……もしこのまま帰ったら、お前また狙われるぞ。学校なんか行って見ろ、登下校中一発で拉致られてヤられて終いだ」
「……」
 確かにそうかもしれない。
 あの男達は、啓一に「誰かから恨みでも買ってるのか」と訊いてきた。それに彼らも誰かから金を貰って自分を強姦しようとしているようだった。そうすると、行き当たりばったりの犯行ではない。考えたくないが、多分自分は何者かに狙われているのだろう。
「あそっか、だから依頼されたあんたが何かからオレを守ってるわけだよな」
「何言ってんだお前……ホントバカなんだな」
「この状況で冷静でいられるほうがオカシイだろ普通!!」
 いきなり強姦されそうになって、いきなり助けられて、いきなりことの真相を知らされたのだ。
 道を外して一年しか経たない自分の頭では、とても的確に処理できない。
「兎に角、状況探って安全だと解るまで、お前はここに住んでもらう。俺が出て良いと判断した時以外、絶対に外に出るなよ。掘られても殺されても俺にはどうすることも出来んからな」
「だ、だから待てって! あんたが孝太郎さんから依頼されてるのは理解してるけど、俺ホントに狙われてんの? つか誰から何で狙われてんの?」
 矢継ぎ早に吐き出される啓一の何故何故攻撃に、男は遂に声を上げた。
「っあーもう、知らねーよッ! てか俺が訊きたいわ!! ……兎に角調べてみなきゃわかんねーんだよこのタコ助。だから、今んトコ危険だからここで待機してろっつってんだよ。また拉致られてーのかお前は」
「…………ゔー……」
 唸り声のような音を喉で響かせて、啓一は口を閉ざした。
 確かに、今は解らない事が多すぎる。正直この男だって信用して良いものかどうか解らないし、第一何故自分が狙われるのか、何故孝太郎がそれを知っていたのかすら解らない。
 これから無事に家に帰れるかどうかも解らないのだ。
 そう思うと急に不安になり、啓一は目を伏せた。
「……とにかく、部屋行くぞ」
 車から降りる男を真似るように、啓一もワンテンポ遅れて下りる。
 頭を垂れて押し黙る啓一を男はちらりと見て、なんだか小難しそうな顔をした。
「おい、白木啓一」
「……なに?」
「とりあえず、服買って来てやるから、シャツくらい合わせてズボンの中に入れてろ」
 言われて、初めて自分の姿を省みる。
 海でも無いのに上半身を露出している格好なのに初めて気付いて、啓一は熱を爆発させた。
(俺今までこんなカッコで公道走ってたのかよ!?)
 そこまで言うのなら、最初に言ってくれればよかったのに。
 また男に対する怒りと不信感が増すのを感じながら、啓一は怒り顔のまま男に付いて行ったのだった。












   





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後書的なもの
  基本的に啓一はだいぶん頭悪いです。作者よりかはマシですが。
  対して総悟は俺様です。多分人をからかうのが好きなんだと思います。
  それにしても啓一は孝太郎にベタ惚れですね。作者なのにびっくり。
  


2009/06/04...       

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