No.01








 

 青い空に立ち昇る煙は、別れを惜しむようにゆっくりと空へ消えていく。
 出来る事ならその全てを巻き戻して、空に上がっていくあの人を生き返らせたい。
 一時だけでもいいから、もう一度あの笑顔を見たかった。

 白木啓一はそう思いながら、火葬場から上がる煙をその外からじっと見つめた。
 肉親でなければ友達でもない自分が、火葬場に入れないことは解っている。だから、彼の全てが消えていくのを外で待っていたが、自分で望んでここへ来たはずなのに啓一にはこの時間がとても辛いものに思えた。
 最後まで一緒にいる事も出来ず、別れを告げることも出来ない。
 愛していたと伝える事すら出来なかった。
「……そりゃそうだよな……オレ、男だもん」
 彼の家族は、最後まで自分の息子や兄が男と付き合っていたとは知らなかった。もっと平たく言えば、彼が生粋のゲイだなんて思いもしていなかったのだ。そんな純粋で優しそうだった家族に、誰が「彼は男にしか興味の無い完全なホモでした」なんて言ってしまえるだろうか。
 少なくとも、最後に付き合っていた自分には出来ない。
 啓一は眉を顰める労力すらなく、低木を囲む縁石に腰を下ろした。
 まるで布のように白く細々とした煙は、忘れたくても忘れられない相手を思い出させる。
 目が熱くなる度に泣いてしまいたかったが、何故だか涙は出てこなかった。彼が死んだと知った時も、通夜に行った時も、こうして火葬場で彼が消えるのを待っている今も、涙が出てこない。
 なんて薄情な人間だろうと自分自身を責めたが、まるで涙腺が枯れてしまったかのようにしずく一つも零れなかった。それが更に啓一を苛んで、この数日間ずっとぼやけた日々を送っている。何もかもが本当に色褪せたかのようで、力が入らなかった。
「…………オレ、重荷だったのかな……」
 ぼんやりと呟くが、確証すら出てこないその台詞に現実味が増すことは無い。ただ心の中の自分はそうだそうだと相変わらず自分をいじめていた。
 けれどふと浮かんでくる彼の笑顔に、己をいじめる自分すら黙り込んでしまう。
 どうしようもない喪失感は彼を思い出すたびに無限に湧き出て、どうにもならなかった。
「この前会った時も、こないだメールした時も、全然そんな感じじゃなかったのに……」
 呟きながらじっと空を見つめるが、誰も啓一の言葉には答えてくれない。
 こんな時に彼が傍にいたなら、きっと何かしらの言葉を掛けてくれただろうに。
「…………」
 早く立ち直らなければならない。そう思っても、突如として訪れた別離はまだ高校生の啓一にはショッキングすぎて、どうしても這い上がれなかった。
 これからもずっとずっと一緒にいるのだと思っていた相手が、ぱっと消えてしまったのだ。
 今までこんな経験をした事が無かったから、どうしていいか解らない。
 どうすれば立ち直れるのかも今は考えられないのだ。
 一つ溜息を吐いて、啓一は頬杖をついた。
「……もう、帰った方が……いいかな」
 長く続いていた煙は段々と細くなり、途切れ始めていた。多分もう少ししたら相手の家族が出てきて鉢合わせしてしまう。そうなれば色々と面倒な事になるだろう。
 何せ、通夜の時自分は『彼の友達の弟』と嘘を吐いてしまったのだ。
 そんな遠縁な自分がここで一人で待っているなんて、どう考えてもおかしいと思うに違いない。
 啓一は重い腰をゆっくり上げると、もう一度煙を仰いで目を細めた。
「……バイバイ、孝太郎さん」
 白く美しい煙は、そんな啓一を見下ろしてただただゆっくりと揺らいでいた。
 まるで、さよならを言うように。






 そもそも啓一が男として男の恋人となり、ここまでその男に入れ込んで真っ当な高校生の道を外れてしまったのは、一時の興味からだった。
 こうなる前の啓一――つまり一年前の高2の啓一――は、本当にただの何処にでもいるような高校生で、日々だらだらと友達と遊んで暮らすような怠惰な生活をしており、進路も適当に決めただけの夢すら持ち合わせていないなんとも微妙な人間。言ってしまえばダメ人間だった。
 友達は出会い系だの何だのに挑戦してみたり、風俗初挑戦を成功させたりとそれなりに武勇伝(啓一達の中では)を刻み何だかんだで彼女も出来たりとしていたのに、啓一だけはとんとそのような勇気も欲望も湧かず、ただただ子供の遊びに興じていたのを覚えている。
 別に女性に興味がなかったわけではない。男なのだからエロ本だって拾うし買うし見る。
 先輩の家でAV鑑賞会をやると言われれば、拝見しに行ったものだ。それに実際彼女もいた。
 だが何故だかふっと、彼女と話している時に自分が自分でないような気がしたのだ。
 抱きしめてと言われれば、抱きしめる。キスしてと言われれば、キスもした。
 相手が啓一に好きだとか言って欲しいという表情や仕草をした時だって、喜んで欲しくて彼女にヘタなりに一生懸命に伝えてあげたのだ。
 けれど、自分の心はそれで満足する事もなく、かといってエロ本を見た時のように昂奮したりもしなかった。啓一は、彼女に対して好意以外の感情を向けることが出来なかったのである。
 そして、気付いたのだ。自分は恋愛や自分対他人とのそういう関係がうまく行かないのだと。
 結局、彼女とは一週間で別れた。
 それが啓一の最初で最後の恋愛経験。
 ……そのはずだった。
 しかし別れてから暫く。夏休みに入ってすぐだっただろうか。
 久しぶりにいつものメンバーで遊んだ時、自分の住んでいる市に存在するいわゆる【新宿二丁目】のような町で、危うく掘られそうになったのだとの嘆きを友達から聞かされたのである。
 実際そういう事件があることは知っていたが、まさかそんな場所で本当に冗談のような事が起るとは思っていなかったので、啓一もその場にいた他の友人と一緒に大いに笑っていた。
 だが時間を置いて考える内に、何故かその町への興味が湧いてきて、友人と遊べない寂しさもあってかついつい――――かの町の情報が載っているサイトに、アクセスしてしまっていたのである。
 勿論最初はそこに書かれている内容や、BBSの内容、事細かに書かれているゲイ同士のセックスについての教授を見て笑っていたのだが、彼らの言っている過激な内容を見ているうちに段々と「この人達はどんな顔をしているのか」「どんな風にそういう事になるのか」というのが気になって、仕舞いにゃ啓一は彼らの多く集うという場所への地図を保存していたのだった。
(……今思えば、血迷ってたな……オレ……)
 誰にだって、歳不相応な冒険心はあるものだ。しかもそれが夏休みの解放的な気分と寂しさに後押しされてしまったものだから、冒険心は膨れ上がってはち切れんばかりになってしまって、高校生最後の大冒険だとばかりに夜の発展場とやらに繰り出してしまったのである。
 行った場所はクラブのようで、年齢も尋ねられなかった。
 流石に酒は飲めずジュースを飲みながら彼らを観察していたが、実際に見ると想像した以上に生々しい。十分経つ頃には、啓一は少し来たことを後悔していた。
 踊る者達の中に、体をまさぐりあう男達や既にやり始めようとする者達がいる。
 誰憚る事無い場所だからこそいちゃついている者達もいれば、誰かを探すように首を動かす者達も多く見られた。クラブの中は異様な熱気が漂っていて、その世界には興味が無かった啓一にとってこの雰囲気は少しばかり怖いものだった。
 一組、また一組、とクラブからどこかへ消えていく彼らに、想像したくも無い続きを思い浮かべてしまい思わず顔が変に歪む。冒険心からの若気の至りとは言え、少々この冒険は辛かった。
 もう帰ろうかと思い始め、グラスを置いた時――
 ――――どうしたの? 気分、悪い?
 耳に喧しい音楽の中、優しい声で啓一にそう訊いてきた長身の男がいた。
 彼こそが、啓一を真っ当な道から踏み外させた男……尼潟 孝太郎だった。
「もしかして、ココに来たの初めて? まあ、だったら無理もないよね」
 人を慈しむような優しい笑顔で笑いながら啓一に水を持って来てくれた孝太郎は、きっと誰が見ても格好良いと言うような男だと思った事を覚えている。
 少し浮かせた栗色の柔らかそうな髪、細い銀縁のスクエアフレームの眼鏡はいかにも頭が良さそうで、その奥にはいつも優しく歪んだブラウンに染まる目がある。顔は少し面長なくせに、それでも彼の顔はパーツが上手く配置されているのか、面長な所すら「のんびりした優しい人なんだな」という第一印象を植え付けるのに成功していた。とどのつまり、啓一が敵わないほど、孝太郎はイケメンで大人な顔だったと言うことである。
 当然、そんな人間に優しくされて柔和にならない奴などいない。
 気付けば啓一は自分を労わってくれる孝太郎に気を許し、ついつい飲まないはずの酒を飲み、でろんでろんになって孝太郎に個室に連れて行かれてしまっていたのだ。
 気付いた最初は頭が怒りで沸騰しかけたが、よく考えたらあの場所はそういう場所である。
 出会いを求めていない人間が来るような場所ではない。だがしかしその時酔っ払っていた啓一には怒ることも悟ることも出来ず、ただ嬉しそうな孝太郎に身を任せてベッドに寝かされるしかなかった。
 髪を優しく撫でられ、上にのしかかられ時にはもう彼の言ったことは半分くらい覚えていない。
「君、ネコ役でいい?」
 と訊かれた時には、そんな用語すら知らなかったので思わず「オレはにゃんにゃん言えば良いのか」とくだを巻いたように答えていた。冗談が上手いねと笑われたが、やはり酔った啓一には彼の言っている事が理解できない。啓一の様子がおかしいことに気づいたのか、孝太郎はコチラの顔色を窺うように、言い難そうにまた訊いてきた。
「もしかして、君こういうの初めてなのかな」
「なあーに言ってんら! オレらってな、かのじぉと、いっかくら、やったことありますー!」
「彼女と、って…………え、あれ? えーと……男とセックスしたのは?」
「おろこぉ!? ん、ヒック、ンなの、じぅなにゃねん生ぎてきれ、やっらこと、ねーお!!」
 ……啓一のその言葉に孝太郎は青ざめ、慌てて啓一から退いて土下座したらしい。
 それ以降の事は酔いが醒めてからしか覚えていないのだが、孝太郎から訊いた話では、孝太郎は自分が成人済みの幼い感じの男性に見えていたらしく、久しぶりに凄くタイプな人に出会えて舞い上がっていたらしい。そしてついつい焦りすぎて飲ませてしまい、うっかり啓一を頂いてしまいそうになっていたのだとか。啓一は当然驚いたが、それよりも先に疑問が口をついていた。
「なんで、酔ってる間にオレを掘らなかったの?」
 普通、あの場所で待ってる奴なら構わず啓一を掘ってもおかしくはなかっただろう。
 なのに何故啓一を脱がしもせずに放っておいたのかというと、孝太郎は目を見開いて大きく口を開いた。
「え……そりゃ決まってるじゃないか! 同意なしにどうしようとか……っ、い、いやそれ以上に未成年に手を出すなんて考えられないよ! 犯罪だよ、それは!?」
 今時、小学生でも「ハァ?」と首を傾げそうな言葉。
 顔を真っ赤にしながら真剣に叫ぶ孝太郎に、啓一はいつの間にか笑っていた。
 この人はきっと、今まで風俗も行ったことがないに違いない。悪い遊びもしたことが無いし、そんなことなんて絶対に嫌いだったのだろう。自分に何もせず真っ赤になっている孝太郎を見ただけで、啓一には彼の人となりがすぐに解ってしまった。それほど彼は正直者だったのだ。
 気付けば、啓一は彼にメアドを教え、何度かメールして、なんとなく恋人になっていた。
 最初は面白半分で友達のつもりだったのだが、相手の真剣さや本当に自分を好きでいてくれる姿勢を見ていると、何故かこちらまで心臓が高鳴って嬉しくなっていくのだ。
 前の彼女とは絶対に生まれなかった、不可思議な感情。
 啓一はいつの間にか、孝太郎にそれを感じるようになってしまっていたのである。
 それが、啓一の本当の、初恋だった。
 互いの気持ちを確かめ合ってからも孝太郎は啓一にはキス以外の事はせず、いつも「成人して、その時も啓一が僕を好きでいてくれたら……君の最初の人になりたいな」と夢見るように零していた。
 そんな、孝太郎が。



「…………なんで、死んじゃうんだよ……」
 嘘なんてつけないほど、孝太郎と過ごした一年は啓一には幸福な時間だった。
 メールに一喜一憂し、お世辞にもデートとは言えないピクニックを本気で楽しみ、会える時間が少なかった彼との一分一秒を笑顔ばかりで過ごした。悲しむ暇なんて、どこにもなかった。
 孝太郎は啓一にとって、何よりも大事で大切な人だったのだ。
 埠頭での散歩も、遊園地も、ドライブも、ピクニックも、みんな、みんな啓一には嬉しくて楽しい場所だった。孝太郎が連れて行ってくれた場所は、どんな場所よりも大好きになった。孝太郎が連れて行ってくれたからこそ、孝太郎が隣にいてくれたからこそ、大好きになったのだ。
 けれどもう、その大好きだった場所には行けない。
 孝太郎がいないから。
「バカ、じゃねーの……」
 帰り道が歪む。それでも涙が零れないことはもう解っていた。
「結局、なにも、しねーでやんの……」
 望まれれば、自分はいつでも受け入れる気でいたのに。例え男として許容し難い行為だとしても、孝太郎とならばやれると決心していたのに。結局、夢は夢のままで彼は死んでしまった。
 それがどうにも悲しくて、啓一は顔を伏せて思い切り歪めた。
 今ほど、帰り道に人通りが少なくてよかったと思うことは無い。大通りに出てしまえば、こうして立ち止まって心を落ち着ける暇さえなかっただろう。
 啓一は暫しそうして立ち止まり、いつ治まるかわからない苦しみを押し殺した。
 火葬場まで続く道は、そこに行く用事があるものでないと好き好んで登ってこようとはしない。啓一はそのままゆっくりと歩き出して、何かを堪えるように喉に力を入れて顔を上げた。
 坂道が終わり、公道へ出る。ここもまだ車は少なく、辺りに家が見当たらないというのもあってか人が通ることもない。啓一は一応左右を振り返り、バス停へと向かって歩き出した。
 時計を見つつ、この田舎ですぐにバスが来るのかと少し心配になったが、バス以外で家に帰るには徒歩しか無い。今更ながらにここまで来た自分の未練がましさを恨みながら、啓一はふと前方からやってくる車に気付いて白線の内側に下がった。
 黒いワンボックス・ライトバンは、広い二車線だというのに速度を落としてゆっくりとこちらへ近づいて来る。安全運転過ぎやしないかと思ったが、もしかしたら自分に道でも訊きたいのかと思って、啓一はお人好しにも自分から車へ近付いていった。
 運転手がガラス越しに解る。相手は少しがたいの良い男で、視線はこちらを向いているがとても道を訊きたそうな顔はしていなかった。そう、どちらかというと……何か、狙っているような。
(……気味悪りぃ……なんだよ、あのオッサン)
 視線に反応して、背に冷たい物が走りぞくりとする。
 最近は田舎でも物騒だと聞く。本当かどうかは知らないが、自分に用が無いのなら長居は無用だ。
 啓一はバンから更に離れつつ、バンと自分が互い違いに過ぎ去る事を祈って足を速めた。
 車が自分の横に並ぶ。そのまま向こうへ離れようとしている車に一瞬ほっとして、気を緩めた。
 だが。
「おい、今だ」
 車の中から声が聞こえたかと思った刹那、後部座席のドアが開き数人の男達がこちらへと手を伸ばしてきた。
「!?」
 本能的に危険を感じて足が動くが、それよりも先に男達の手が啓一の服を掴む。
「やめっ……!」
「おいっ、アレ嗅がせろ!!」
 抵抗するが引き摺られて、車の中へと押し込まれそうになる。しかし必死で足を踏ん張らせている啓一の隙をついて、男の一人が啓一の鼻と口に布のようなものを当てた。
「ッ!?」
 アルコールと、薄荷に似たおかしな臭い。
 臭気を認識した途端に、啓一の体は勝手に傾いでいた。倒れそうになる啓一を男達が車へと容易に引きずり込む。意識すら薄くなってきていた啓一には、もう何をされているか解らなかった。
「楽なもんだな」
 なにが楽なんだと延々と問い続ける頭に、男達の笑い声が響く。
 目蓋が閉じられて目の前がブラックアウトする。もう啓一には、何も理解できなくなった。










   





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後書的なもの
 
始めてしまいました。
  とりあえず1棒1穴主義で行きたいと思います。
  

2009/06/04...       

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