この世界には争いも無くて、飢えも無い。それでも階級で格差はあったが、誰もがその自分の生活を不満に思うことは無く、また不満に思うものは動きようで如何様にも身分を変える事が出来た。
 資源は尽きず、天災以外のことで民は恐れる物が無い。
 まさに楽園。憂う事の無い世界だ。
 なのに。
「なんで俺はこんな所に放り込まれたんだ?」
 今頃はバイトでてんやわんやだった崎岡 秀治(さきおか しゅうじ)は、何度目か解らない疑問に溜息をついていた。
 この世界に来たのは、約半年前。ピザの配達に行こうとしてエプロンをつけた瞬間、竈がばんと開いてあれよあれよというまにそこから「この世界」へ引き込まれてしまったのだ。
 未だに原因は解らず、何の試練も与えられない。どうやらこの世界はこの一国のみとなっているらしく、国の敷地以外は茫洋と横たわる海で囲まれていた。アニメで言うならひょっこり瓢箪島。真面目に言うなれば絶海の孤島。中世の時代なのか多少不便な所はあったが、それでもこの世界は何の憂いも無く素晴しい世界だった。だったのだが。
「そんな所になんで俺が……」
 見たところ何の動乱も起き無さそうだし、第一なんで呼ばれたのか解らない。
 それにこの世界の人に見つけられたとき、すぐさま王城へと連れて来られた。有りがちな展開だなと思ったが、別に拷問される事も無く寵愛される事もないまま、秀治は城の中の人々や市民と同じように気軽に話しかけられ、まずまずの待遇で豪華な部屋も与えられていたのだった。
 使命がないとしたら、本当にこれは【神隠し】なのだろうか。
「にしても……うーん……」
 それ以上どういったらいいのかわからず、秀治は髪を掻き回すと部屋を出た。
 一人で悩んでいてもどうにもならない。それよりも別の事をしたほうが建設的だ。とりあえず誰かに文字でも教えてもらうかと思いながら、秀治は城を歩き回った。城も中世のなんたらといった様子で、広くて無駄に豪華だ。圧政から搾取された税金で作ったのなら胸糞悪い装飾だが、別にそんな事をしなくてもここまで豪華だと何だか凄いと感じてしまう。
 金はある所にはあるのだなと思いつつ、気付けば足はあるところに向かっていた。
「…………謁見室って……おい、俺……今は多分駄目だろ」
 この時間はまだ相手は仕事中だ。大臣でも兵士でもなく、ましてや用件もない自分がこの中に入るのははばかられる。というか滅茶苦茶仕事の邪魔だ。
 何故無意識にここに来てしまったのだろうかと思いつつ、踵を返そうとする。と。
「おや、シュージ。どうしたんだい?」
 少し離れた場所から、陽気な声が聞こえて振り返る。
 そこでは、ふさふさした淡い金の髪を揺らし歩いてくる美丈夫が手を振っていた。相手に心当たりがあって秀治は微笑む。彼はアルデ・シュプロートと言って、見た目は気楽そうだが実質的ナンバーツーである男だ。つまり王の次に偉く、頭も切れる。
 その上優しいとあってか彼も市民からの人気が高く、秀治にこの国の言葉を喋る術を根気よく教えてくれたのだ。今では良い親友となっている。
「いや、なんかぼーっとしてたらここに来ちまって……」
 あはは、と後頭部を恥しげに掻く秀治に、アルデは笑って両開きの扉を親指で指した。
「はいんなよ。今日はだーれも来てないんだ。王様も退屈みたいだし、良かったら傍にいてやってくれ」
「でも……いいのか? 謁見室なのに……」
 そういうと、アルデは悪戯好きな子供のように微笑みウインクした。
「俺がここで見張ってるよ。それに、王様も昨日は仕事ばっかで疲れてるだろうし……また異世界の話でもしてやってくれないか?」
 気楽にそういわれると、何だか罪悪感もなくそうしたいと思うようになってしまう。
 秀治はほんの少しの間悩むと、すぐに頷いてアルデに頭を下げた。
「じゃあ、頼むよ」
「よーし解った。……でもあれだな、ホントにシュージも王様も互いが好きなんだなあ」
 アルデの何気ない言葉に、秀治は思わずどきりと心臓を鳴らす。だが相手はわかっていなかったのか、そのまましみじみと話を続けた。
「王様もさ、君が来てから何だか若くなったみたいで……凄く楽しそうなんだ。こっちまで嬉しくなる。シュージが来てくれて良かったよ」
 にこにこと笑うアルデに、秀治は内心気が気ではないと思いつつあははと乾いた笑いで誤魔化した。背中は冷や汗でだらだらだったが、気付かれては行けない。そそくさと扉を潜って、秀治はアルデに礼を言いながら扉を閉めた。
 全く、無邪気な者の言う事というのは、時に恐ろしいほど的確だ。
 秀治は額に浮かび始めた汗を拭ってから、少し離れた王座へと近づいた。
「サイロン」
 呼ぶ名に、美しく装飾された王座に座った物が動く。
 まるで絵画に描かれたかとでも思うように王座としっくり合った姿をしていた者は、呼びかけに気だるげにしていた体をしゃんと戻した。
 時折きらりと光る美しいグレーの髪を後ろに流し、骨ばってきていても尚その精悍さと男らしい美貌は変わらない細くしっかりした輪郭。高い鼻梁に、切れ長ながらも優しさを湛えたその眼は、今はじっと嬉しそうにこちらを見ていた。口の周りに蓄えた白い髭は、威厳を醸し出すのに一役買っている。
 近くにいなくても解る相手の容貌を想像して、秀治は軽く苦笑した。
「おお、シュージ。きてくれたのか」
 嬉しそうな、重低音。その声にさえ胸が高鳴る。
 秀治は少しだけ早足で彼に近付くと、小さな幅の階段を昇りその最後の段に腰掛けた。王座のすぐ隣で相手を見上げて微笑む。王であるサイロンも嬉しそうに微笑むと、こちらの頭を撫でてくれた。
 その優しさが心地良くて目を細めると、相手の笑みが深くなる。
「良く眠れているか?」
 何度目か解らないが、その質問をうざったく思うことなど無い。
 秀治は頷くと、心地良さに細めた目で再び相手を見上げた。
「大丈夫。もう慣れたし、ここの人達は俺のいた世界より優しい人ばっかだから」
「そうか。……出来れば私が毎日でも寝床の傍に付いていてやりたいが……この歳になると日が落ちた途端に眠くなるものだからたまらん」
「ははっ、それはちょっと早すぎだって」
 そうか、と少し不満げな顔をする子供っぽい王に秀治は苦笑を深くする。
「なあ、サイロンこそ大丈夫か? アルデが疲れてるみたいなこと言ってたけど……」
「大事無い。アルデが疲れていると見たのは、多分私が憂えていたからであろう」
「憂え、る?」
 あまり使ったことの無い言葉を噛締めるように言うと、サイロンは愛しげに細めた目で秀治を見た。
「この数日忙しくて、ロクにシュージの顔を見ることが出来なかった。口付けも、抱き締める事も、こうして心地よい黒髪を撫でる事すら禁じられていたのだ。憂えて当然というものだ」
「なっ……」
 思っても見なかった言葉に顔を真っ赤に染上げた秀治に、サイロンは悪戯が成功した子供のような無邪気な顔で微笑んだ。その顔がまた秀治の熱を上げる。
 二十歳以上も歳が離れているというのに、どうしてもサイロンにこうして熱っぽく見つめられると、動揺してしまってどうにもならなかった。そんな秀治を楽しそうに見つめて、サイロンは髭に覆われた口を弧に歪める。
「だが、私も現金なものだ。こうして愛らしく頬を染めるシュージをみるだけで、疲れすらふっとんでしまうのだからな。まったく……私もまだまだ若いと思い知らされる」
「さ……サイロン……」
 忌憚無い事実だとでも言うように自嘲気味の声で言う老獪な王に、秀治は居た堪れないと口をもごもごと歪めて肩を竦めた。そんな映画のような台詞なんて、自分がいた世界でも聴いた事がない。
 これほど愛していると言ってくれる人すら、秀治は出会った事がなかった。
 だから、どうしてもサイロンの言葉に反応せずにいるなんて、出来ないのだ。
 困ったように相手を見上げる秀治に、サイロンは両腕を広げて見せる。
「シュージ、私の目の前に来てくれ。老人は立ち上がるのが億劫でな」
「ま……また肉体年齢詐称して……」
 本当はサイロンが年齢よりもずっと若い身体機能を持っている事は、自分が一番知っている。
 老人に似合わないほどしっかりと筋肉をつけているのに、えらく寒い冗談だ。
 だが、その冗談を笑い飛ばす事なんて……出来ない。
「シュージ、おいで」
「………………ちくしょ……」
 来るに決まっている。とでも言いたげな、老人に似つかわしくない子供のような得意満面の笑みにまた心を揺さぶられながら、秀治は立ち上がってサイロンの前へと来てやった。
 悔しいが、けれどそうして嬉しそうに自分が来るのを待っているサイロンを見ると、秀治は何でも従ってやりたいと思ってしまう。出会った時はそんなことなど思わなかったのに、今はサイロンが喜ぶなら、腹踊りだってやれる気概でいた。
 サイロンが笑顔で、元気でいてくれるのなら、秀治は自分がどうなっても良かった。
 それほど――――
(それほど、俺……この爺さま王がすきなんだな……)
 疾うに老いて、情熱を失ったと思わせるような穏やかで欲のない表情。鍛えているとはいっても、やはり自分とは違う、骨の細い年齢の違いを見せる体。自分の髪を撫でる手さえ、皺を刻んで若々しい自分の手とは全然違う。骨の感触を覚える手だ。
 けれど。
「シュージ。この老いぼれの願いを聞いてくれるかな」
「はいはい、何でしょうか? おじいさま」
 互いにおどけた調子で問答する様に笑みを浮かべながら、次の台詞を予測して、サイロンは両手を広げ秀治はその腕の中に入った。
「私の胸の鼓動を聞いて、私がまだ若々しいと証明してくれ。この胸に耳を当てて、私の腕の中で血の脈動を感じ、私がどれ程お前を好きかという事を感じておくれ」
「仰せのままに」
 跪いて胸に入り、言われるままにその鼓動を聴く。
 サイロンの心臓の音は自分と同じように熱に脈打ち、とても暖かな鼓動を伝えていた。抱きしめる腕の強さも、葉タバコの微かな香りも、その息をする体の動きさえも秀治を包み込んで、安堵にも似た感情を与える。しかしそれは激しく、安堵とは違う激しい熱を生む側面も持っていた。
 それが何かと問われれば、秀治はきっと口に出す事はできないだろう。
 だが、こうして態度でなら伝える事が出来た。
 自分は、サイロンを、本当に愛しているのだと。
「……サイロン、キスして欲しいか?」
「シュージがこの骨と皮で出来た私を愛してくれているのなら、是非にと言おう」
「ったく演技臭いんだったら……素直に言ってくれよ」
 互いの気持ちなんて解りきっているだろうに、と顔を顰めると、サイロンは朗らかに笑った。
「すまない。拗ねる顔が可愛くてな」
「…………まあ、許す」
「悪かった。……愛しているよ、シュージ」
 優しく頭を包む手に後押しされて、秀治は躊躇いなくサイロンと触れるだけのキスをした。
 唇だけは、皺を刻まれても潤っている。その髭の柔らかさがくすぐったいが、それよりも自分より熱い相手の唇がとても嬉しくて、秀治は角度を変えてもう一度口付けた。
 サイロンから見れば自分はひよっこで、穀潰しで、歯牙にもかけないような鼻垂れのガキだろうに、それでも愛してくれているという事が嬉しくてたまらない。何も出来ない自分をこれほど思ってくれている事が、何よりも秀治には救われる思いのする事実だった。
 自分のいた世界ではきっと、こんなに思い焦がれる恋なんて、することなどなかっただろう。
 その上相手が老人で男で王様だなんて、信じられないことだ。
 だが、今、自分はそんな相手を愛している。
 信じないことなど出来るはずが無い。
 ゆっくりと口を離し、サイロンを熱っぽい目で見つめる秀治に、サイロンも同じような目をして秀治の頬を撫でた。すこしかさつく手が、瑞々しい肌に吸い付く。
「……私は、この晩年で、ついに私だけの宝物を手に入れた」
「……?」
 目を瞬かせる秀治に目を笑ませて、サイロンは低く優しい声で告げた。
「私だけを愛し、私だけに体を許し、老いたそのままの姿を好きだと言ってくれる……まるで神のように清らかな心の持ち主だ」
「なっ……」
 思わず身を引く秀治の腰を捕らえて、サイロンはそのまま抱きしめた。
「シュージ。……私は、時々考える。……お前がこの世界に来たのは神の悪意のある悪戯ではないかと」
「……サイロン」
「この世界に来る事がなければ、シュージは見知った者と幸せに暮らしていたのではないかと……ふと考えてしまう時があるのだ」
「っ……」
 思わず反論しようとして顔を上げた秀治に、サイロンは言うなと首を振る。
 そして、また髪を撫でた。
「だが、私はまだまだ未熟者だ。……そう思うより先に、強く思ってしまう事がある」
 遠い目をしながら呟くサイロンに、秀治は目を丸くした。
「シュージは、私の最期を間違いなく愛しい目で看取ってくれる、神様からの最高の贈り物なのではないかと」
「サイロン……」
「そう思うと、無神経な事に、私はお前がこの世界に来てくれてよかったと思ってしまう。……まったく、老いて尚欲の深いことだと己でも呆れるものだよ」
 幻滅するだろう? と弱り顔でシュージに問いかけてくる、英知溢れる王。
 誰よりも民を愛し、国を愛し、この世の平和を願っている王。
 そんな王が、秀治を独占して放したくないのだとだだをこね、自分だけの恋人だと言い、ただの人間である秀治を愛していると言ってくれている。
 なんの力もない自分を、本当に愛していてくれているのだ。
 何故だかその事実が目の奥を熱くさせて、秀治はサイロンに抱きついた。
「……全然……欲深なんかじゃ、ねえよ……」
「シュージ」
「……俺は……。俺は、この世界に来れて、サイロンに会えて……良かったと思ってる。元の世界とか、もうどうでもいいってくらいに…………あんたが、好きなんだ」
 胸に顔を埋めて、誰にも見せたくないと目を瞑る。
 サイロンが今の言葉にどんな顔をしているのかは解らなかったが、ただ、彼の心臓が大きく脈打った事だけは感じた。
「……シュージ。…………本当に最期を看取ってくれと誓いを迫っても知らんぞ?」
 抱きしめる腕と声が、微かに震えている。
 その震えは、感動と少しの怯え。今更「嫌だ」と言われたらどうしようかと怖がっている、解り易いものだった。
 秀治はそんな可愛い反応をする相手に笑いを堪えて、顔を上げた。
「…………だったら、死んでも追いかけてやるからな」
 秀治のそのたった一言だけで、サイロンの怯えは消え去る。
 王は、また老獪でどこか悪戯小僧を思わせる顔で笑った。
「望むところだ。魂までも、掴んで放さないでくれ」
「上等」
 再び口付けた互いの唇は、温かな熱を帯びている。
 その温もりを確かなものだと確信しながら、二人は幸せを満面の笑みに溶かした。
「シュージ、私が死ぬまで、私を愛していてくれ」
「あんたこそ、死ぬまで俺を放さないでくれよな」
 もしかしたら、本当に自分はサイロンを愛するためだけにこの世界に呼ばれたのかもしれない。
 素晴しく、優しく、孤独で、純粋な王を喜ばせるためだけに。
(……でも、それがもし真実なら………………
 この世界に来て、良かった)
 心の底からそう思いながら、秀治はまたサイロンと唇を重ね、幸せを享受する。

 世界は、ただただ平和で、永遠に幸せな世界だった。











  おわり











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 age60↑の王様、素敵だと思います。マジで。
 美女とロマンスグレーナイスミドルのカップルとか最高の組み合わせだと常々思っていたんですが、青年との組み合わせも非常に良いと気付きました。
 亀の甲より年の功な爺様といつまでたっても敵わない小僧!
 戦争だとか事件だとかがおこる話も好きなんですが、ひたすらラブラブしてる話も大好きです。ラブラブなカップルには幸せでいて欲しいですなー。
 サイロンと秀治は歳が離れててもラブラブで、書いてるこっちがなんか恥しかったんですが、もうお前ら一生幸せでいろよ!畜生め!
 理由も無くトリップ、というとこんな話しか思い浮かばんのですが、誰かたった一人の為に召喚されると言う設定も悪くない…。
 しかし私が考えると短編になるから困る。

 全然関係ない話ですが、ナイスミドルが剣を振るって血の戦場で戦うのってかなり萌えませんか。
 萌えというより燃えに近いですが、いいよね! 戦うおじいちゃん!





2009.08.19...
 
   
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