『ハロー、ハロー。そちらではもうアトムは生まれましたか?』




「ハロー、ハロー。いいえ。相変わらずの時代です」
 時代遅れの無線機で、僕はそういう。
 そうすると相手は少し不満だったようで、無線機の奥から小さく「えー」という声が聞こえた。
 その子供のような声に、僕は耐え切れなくて笑いを漏らす。
「でも、人類は宇宙へ行けるようになりました。どうぞ」
 僕の言葉に、相手は喜んだのか、すごく嬉しそうな声で返答した。
『アンドロメダの果てまでですか? どうぞ』
「いいえ。精々火星の近くまでです。どうぞ」
 アポロが月に行った時代から、僕たちの年代は大分進んでいる。けれど、相変わらず火星までしかいけないようで、一般人は悲惨だと嘆いてみた。
 相手はそんな僕の言葉にくすくすと笑う。その声が嬉しくて、僕は少しだけ笑みを浮かべた。
『外では車が空を飛んでいますか? どうぞ』
「いいえ。でも地球に優しい車や、ロボットの制御する車が生まれています。どうぞ」
 時代は変わるものだ。
 黒い排気ガスを吐き出して、公害の影響になっていた車が今では一番地球に優しくなっている。昔に夢見ていたロボットが運転してくれる車も、もうすぐ完全な形で目に見えてきそうだった。
 僕はそう思い、古ぼけた無線機を懐かしい眼で見つめる。
『では、あなたはどうですか?』
「え?」
 その突然の問いに、僕は瞬きをして驚いた。
『あなたはいま、どうですか?』
 純粋で迷いも無い問いの言葉に、僕はなんと言っていいか迷う。
 別に質問が嫌だったのではなくて、それになんと答えたらいいのか分からなかったのだ。
 今の気分や気持ちを言えばいいのだろうか。それとも、もっと別のことだろうか。訊きたいけれど、相手はそのまま黙って僕の返事を待つばかりで、意味を教えてはくれなかった。
 けれど次第に、何故相手が僕にその様な質問をしたのか、そして何故そのまま黙っているのかが解って、僕は微笑んだ。
 そうして、答える。
「僕は……僕は、結婚しました。子供も二人います。とても優しい子供達です。今では僕もいい年をした大人になって、会社に通っています。宇宙飛行士の夢は叶わなかったけど、それでとっても幸せです。この前、子供達に僕の昔の事を教えました。昔……昔は…………この無線機で、沢山の人と話していたんだってことも」
 相手は、その言葉に笑ったようだった。
『そうですか。そうでしたね。昔は、貴方はこの無線機で沢山の国の人と喋っていましたよね。あの頃は世界中が繋がっていたようで、とても楽しかった。みんなと話すことが出来て、とても嬉しかった』
 無線機の向こう側の声は、その頃を懐かしむかのようにゆっくりと、そう言う。
 僕はその声の主がもう誰か解っていたので、黙ってそれを聞いていた。
『世界中の人、時には私自身に話しかけてくれましたね。未来は車が空を飛び、宇宙を縦横無尽に駆けて、そうしてアトムが生まれてくるのだと』
 その声にノイズが聞こえ始めたことに少し心配しながら、僕はそれでも相手の声を聞いていた。
『今は、その未来ですか? 貴方は大人になっていますか?』
 小さなその問いかけに、僕は頷いた。
「はい。……今は、僕が夢見ていた、未来です」

 そんな凄い物じゃなかったけど、夢見ていたものはまだまだ遠かったけれど。
 この時代は、間違いなく、僕の夢見ていた未来です。

 そういうと、無線機の向こう側の声の主は、微笑んだようだった。
『そうですか……良かったです。貴方の幸せな未来が来た……とても良かった。…………二十年眠っていた間に、貴方はすっかり大人になってしまったようですけれど、貴方が幸せに暮らしているのなら、本当に良かった』
 声が「良かった」というたびに、何故だか目頭が熱くなる。
 ずっと一緒に居たときの思い出が今更甦ってきて、胸が苦しかった。
『もう、私は貴方と一緒にいられないけれど、もう一つだけ、教えてくれますか?』
 ノイズに紛れ始めた声が、ゆっくりとさび付いていく。
 まるで、物置から見つけたこの――錆付いてしまった、無線機のように。
「なんですか?」
 頬を伝う涙を止められず、鼻声で僕が言うと、無線機の向こうから聞こえる声は、消え入りそうな音量で笑って、こう言った。
『未来の空は、あの時と同じように青いですか?』
 聞こえる音声が完全にノイズに飲み込まれる。
 調節しても、もうその声は聞こえなかった。
 けれど、僕はもう一度無線機を握り締めて、はっきりと言ってあげた。
「未来の空は…………君で始めて喋ったあの時みたいに……本当に、綺麗な青空だよ」
 アトムも生まれなかったけれど、空を飛ぶ車もいないけれど、僕は宇宙に行くことは無かったけれど。
 でも、君と一緒になった時に見た、あの綺麗で見惚れてしまった青空と、未来で見ているこの空は同じくらい綺麗なものだよ。同じくらい、冴えた青色だよ。
 僕はそっと無線機に口を寄せると、もう一言だけ、呟いた。
「ハロー、ハロー。相変わらずの時代だけど、僕はずっと、君を忘れないよ」



 あの時夢見た世界は遠かった。

 でも、その夢を語りかけた君を、僕は決して忘れない。


 君を通じて未来に思いを馳せた事を、僕は絶対に忘れないよ。









 『ハロー、ハロー。
 そちらでは、もうアトムは生まれましたか?


 未来の僕へ届くように、そう伝えてください。』








 未来を夢見させてくれた無線機。
 懐かしい思い出を一生懸命に喋ってくれた君。


 もう動くことは無いけれど、忘れはしないよ。



 僕達が夢見た頃の時代は、いつも変わりなく僕達の胸に残っているのだから。








 ハロー、ハロー。
 君は今、幸せですか?
 未来の僕へ、昔の言葉を届けてくれてありがとう。
 オーバー。





 











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 少し不思議な話が大好きで、ちょっと考えてみた作品。
 物に魂がこもると考えることはとても素敵だと思います。
 あまり喋るとぼろが出るのでこのへんで。


2008.03.09...
 
   
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